原因と結果を逆向きに考える(隈川)

●何か突発的な事件が起きた時、人は原因を解明しようとする。たとえば日本時間本日未明のウクライナ暫定政権の武力行使について、マスコミの関係者はウクライナ国内の右派勢力からの圧力の生だという。果たしてそうなのか、そうでないのか誰にもわからないが、マスコミがそのように説明すればひとまず世間は落ち着くらしい。奇妙なことだ。
●物事はえてして原因と結果を逆に考えたほうが正解に近いのではと思うこともある。今回の武力衝突によってウクライナの統治体制は、国内世論や欧州各国を含め、連邦制の採用が避けられないという印象を持ったはすだ。連邦制採用によってもっとも利益を得るのは、ロシアだが、ウクライナ国内の問題が落ち着くという意味では、米国も欧州にも利益がある。うがった見方だといわれるかもしれないが、一旦武力衝突を起こさせる、ロシア軍は一切介入しない、結果的にロシアの一方的な悪者の印象がぬぐいさられ、欧米とロシア・ウクライナ暫定政権のすべてにとって必要な、当面の事変の着地が図られる。そういうシナリオを関係者が描いたはずだ。正確な答えは誰にもわからないが、どちらが正しいのかなかなか現時点ではわからない。
●STAP細胞の問題も最近あった。ニュースだけを眺めていると、そういう現象があるのかと思うが、結果の証明が中途半端だったので、結果は仮説に戻った。難しいことはわからないが、このようなナンセンスな事件が起こる原因は、STAP現象を世紀の大発見としたいという願望だろう。願望が先入観となっているから、事実から目を背けても、結果は正しいと断言できることになる。先日の会見を聞いていると、超常現象の愛好家と説明の仕方が同じだった。原因に人間の願望がありすぎるから、結果は願望の延長線上にあるだけで、科学的には何の証明能力もない。
●少々脱線した。言いたいことは、結果だけに振り回されたり、もっともらしい原因の説明に、簡単に首を縦に振らないことだ。絡み合った蔦のような現実を、人は簡単に説明しようとする。しかし、そのような簡明すぎる説明はプロパガンダや詐欺師の口車と変わらないのではないか。私はいつもそう考えるようにしている。

贋作作家が世に叩かれても世間に示すことができるもの(イレナ)

●日本に久しぶりに帰ってきました。温かくて気持ちのいい春の風を感じて、帰国早々一日自転車にのって都内をあちこち走り回ってきました。二子玉川から羽田空港に向かって川沿いを走ると、時折桜の花びらが吹き付けてきて、ああなんて幸せなんだろうと実感がこみ上げてきました。
●東京へ戻ってきて驚いたのは、STAP細胞に関するテレビ中継です。何のための公開討論なのかよくわかりませんが、結論として理解できたのは、画像には加工したが、悪意はないから罪はない。また根拠や証拠は何一つないけれども、STAP細胞は存在することを確信している、ということでした。
●刑事上の罪はないかもしれませんが、画像に加工を施した研究成果を評価する人もいないでしょうし、根拠もなく稀代の発見をしたと叫んだところで、賞賛する人もいないのではないでしょうか。厳格な世界の研究者たちの常識から考えると、一体この人は何をしたいのだろうと、素朴に思ってしまったのです。
●私はこの会見を聞きながら、日本の瀬戸へいったときに知った、永仁の壺事件のことを思い出しました。1960年に起こったこの事件は、埋蔵物として発掘され、その後文化財認定を受けた壷が、実は陶芸家の加藤唐九郎先生が作ったものだということが明らかになった事件です。これも言ってみれば偽造・粉飾の類に属する事件です。しかし文化財だったかどうかはともかく、壷自身のすばらしさは当時の文化庁関係者や専門家をうならせたわけで、一時的に加藤先生は随分と世の中から叩かれましたが、結局その手腕の卓抜さについて評価が高まる結果となったのです。
●今回の事件を、当事者は何をどこに持っていくべきなのか、冷静に考えるべきでしょう。真贋を問われた研究を従来通り研究所で行うことができる可能性は殆どありません。懲戒解雇を回避できても、研究の本来業務に復帰できる可能性はないでしょう。加藤先生の事件になぞらえて考えるなら、STAP細胞自身が本当にあるのだということを証明するほかありません。確信しているというのなら、マスコミの前で会見するよりも、再現実験の成功事例を明らかにするか、研究所の再現実験にもっと積極的に協力するほかありません。手段や経緯はともかく、仮説を導き出す或いは見抜く能力を世間に証明する以外に、光明は見出せないと考えるべきではないでしょうか。

小保方さん、弁護士は抜きで科学的に説明してください(阿房)

●小保方さんの会見、私も見ました。ただ何だか科学の話じゃなくて、裁判所の中の法廷審理のような言葉遊びをしている様子でした。写真の切り貼りは悪意があろうとかないとか言う前に、意図的な修正であるのは間違いないないわけで、東大寺の南大門にいるあうん像のように、両脇に控えていた弁護士先生たちのいれ知恵なんだろうなと素朴に思っちゃいました。
●さて当の小保方さんのほうです。ちょっと精神的に厳しかったのはわかるのですが、ここはどこ、私は誰といった状況にあったように見えちゃいました。STAP細胞は存在する、と断言し、200回生成に成功したと名言されておりましたが、論点はそういうことではなくて、それが本当かどうかを証明する手段と手続きに合理性がない、ということが争点になっているわけですから、何だか要領をえません・・・。会見を開くほうが世論の心象がよくなるのではという、これまたあうん像の両先生たちのアドバイスなんでしょうが、無理やり感がふんぷんと立ち込めて、かえって不信感を高めてしまったような気がします。
●しかし、研究結果の合理性を問う今回の査定について、話自体を神学論争化させてしまったのは、一体誰でしょうか。やはりあのあうん像の弁護士先生たちでしょう。法理的にそういう詭弁の応酬でよいのでしょうが、科学的には結構なパロディーに仕上がっております。ガリレオ・ガリレイばりに、それでもSTAP細胞は存在する、とか何とか会見で言わせようとする部分も、科学のプロには何の説得力もありません。しょせん、理化学研究所の内規をどうとらえるかをという話なので、懲戒解雇を差し止められるかどうか、程度の話にしかなりません。徹頭徹尾サイエンスの話と、近代合理性に基づいた釈明をすれば、科学者として本望なのではないかと、わたしなんかは思っちゃいます・・・。
●こういう違和感って、そういえば昔にもあったような気がします。大学生時代にちょっと美人の女の子と懇ろになった時、酔った勢いで結婚しようなんていったことがありました。翌朝目覚めてから、彼女にしつこく問い詰められても思い出せないので、逃げ回っていたら、ある日内容証明のお手紙がきて・・・、なんてことです。気がつくと顧問弁護士とかいう怖いおじ様に随分問い詰められる羽目になりました・・・。百年の恋も一気に冷めちゃいました・・・。まあ兎に角、今回の会見は、同様の違和感だらけで、けったいな時間でした。

真実は常に闇の中ではない(巌野)

●STAP細胞の件で世間が騒がしい。不正があったとかいうことだ。研究所の結論では、研究を主軸で行っていたリーダーに責任があるという。しかし責任があるというなら、研究所の所長にも、英国の雑誌にもある。なにやら馬鹿馬鹿しいまとめ方だ。
●人間というのは浅ましい。よいことが起これば組織や関係者全員の手柄といいながら、風が逆向きになると俺(ワタシ)だけが悪いのではない、元凶は彼(彼女)だ、ということにしたがるものだ。関係者はいつの間にか、自分たちのことを被害者だといい、片棒をかついでいたことを忘れる。スケープゴートにされた人物だけが加害の罪を受ける。組織の論理というのはそういうものだ。
●人間というのはやはりこまったものだ。善も悪の両方をもっている。年齢や性別に関係なく、もちろん立場や貧富の差にも関係ない。等しく愚者だといっていい。かくいうわたしも同じである。だから世間で何か起きても、不出来な人間が不出来な人間を裁いて得々としている様を眺めると、大変悲しみを覚える。今回のことにしても、三十代の研究者を未熟だという人物そのものも、実は結構な未熟者と見るべきだ。
●近現代ではどの国でもこのような、生臭い世俗権力や組織への絶望感を宗教や風刺、浮世絵に求めた。善悪は、二面性をたくみに使い分ける人間社会ではえてして正しく裁かれない。場合によって自分たちが生きている間には、汚名は晴らすことができない。しかしあるとき、非常に遠い世界で誰かが真実を見極めているのではないかと人は願うのである。
●今回の一連の騒動をわたしは自分にもおきうることだと思っている。善人面をした管理職、揶揄するマスコミ、そのいずれもが疎ましく感じるが、一方自分が同様の過ちをしてしまうかもしれぬ、とも考えてしまう。しかし本当に真実があるのなら、距離も時間も越えたところで、誰かがその真実を眺めていると考えてみるべきだ。私自身、姿も形もなく、既存の宗教なども無関係なところで、いつも誰かがわたしを眺め、私を生かしていると考えるようになった。震災や多くの救いがたい出来事の中で、何とも不自然にも、自分だけが生きている理由を説明するすべを、私はは他に知らない。