5月1日の欧州諸紙を眺める(永野)

●5月1日はメーデーでした。ちなみに欧州では67年前のベルリン陥落を戦勝記念日として扱う国が未だに多いので、今週は祝日で記念パレードなどが結構な頻度で行われています。アジアだけでなく、欧州も第二次大戦や社会主義が一世を風靡した時代の余韻の中にまだあるのかもしれません。
●最近はインターネットの普及のおかげで、日本に居ながらにして欧州各国の新聞もゆっくり眺められるという事情もあって、5月1日の各国新聞の論説などをチラチラ眺めてみることにしました。各紙の相違点があまりない退屈な日本の社説などを読むよりは、刺激的な体験です。
●その中でも面白かったのはル・モンドの”資本主義の後に来るものは一体何か”という特集でした。歴史の発展という考え方の中核にフランス革命とロシア革命を据えてきた知識人たちにとって、今改めて資本主義の形を問いたいという気分があるのでしょう。今更社会主義はないという前提はあるにしても、だからといって現在の異常な失業率を容認はできないという焦りも濃厚にあるようです。欧州の前進として設計したEURO経済圏がうまくいってないというなら、はてさてどこまで歴史を遡り、どこに理想形を求めるべきなのか、そんな気分を感じました。
●アメリカはFRBが未曽有の金融緩和を行って堅調な個人消費を喚起することにどうやら成功、日本は同じく日銀の黒田爆弾で株式市場と外国為替が反応といった状況にあります。しかし欧州は財政規律の維持が各国任せとならざるを得ないという事情があって、経済問題はモグラたたき状態に突入しています。歴史を紐解くと、ローマ帝国時代というよりも、大空位時代に近いような気がしてきます。実質的にドイツが牽引している経済圏であるのなら、メルケル首相に一任というぐらいドイツに任せない限り、この経済圏には将来性がないのではないかと思ってしまいます。
●話を元に戻しましょう。世界は結局のところ未曽有の緩和合戦に突入しています。お金が史上類例を見ない規模で流通しているということです。ある意味究極の資本主義の実験といえるかもしれません。景気が良くなるのは理屈から言ってなんとなく理解できるのですが、世界中で一斉に実施に踏み切ったとしたら、そこに待っている社会の形は果たして理想的なものなのでしょうか・・・。
●欧州の状況と論説を眺めていると、過去の世界とこれからの世界を同時に深く考えさせられるなと、ふと感じた次第です。

二度と社会主義には戻らないと人はいうが・・・(永野)

●これほど経済が悪化して来ますと、二十年前にソビエト連邦が崩壊したときのことを思い出します。立派な近代経済学の学者が出てきては、”もう二度と社会主義の社会に戻ることはないだろう”と一様に答えたものです。日本は時あたかもバブル崩壊手前で、この世の春を謳歌していた時代でした。ひたすら自由な資本主義社会の実現をはかればよいのだという具合に経済を運営してきた挙句、一向に経済は良くならないし、むしろ世界的なバブルが生じるのを助長しただけの二十年間だったのではないか、最近そう思ってしまう部分があります。要するに、無暗に加熱しすぎる資本主義よりも、ある一定の秩序の社会性を持ったほうが結局、より安定的な経済運営が可能ではないかと私などは素朴に考えてしまうわけです。
●少なくともソビエト型の社会主義は二度と戻ってこないとは私も思うのですが、マルクス等が考えた資本主義が行き着く先、すなわち現代の成熟しすぎた資本主義の次の段階にはやはり社会主義経済というものがあるような気がするのです。自由という言葉を隠れ蓑にした”投機型経済”あるいは”超二極化社会””統治能力喪失国家”のようなものが資本主義の到達点なら、本質的な社会の問題解決にはつながらないと思うからです。少なくとも現在目の前にある世界経済は、白色巨星が終末的な段階に至って身動きができず自然死を待つような状況にあるといっていいのではないでしょうか。
●日本も世界も資本主義という言葉に酔ってきました。現代にいたっては、グローバル化・ボーダレス化というキーワードを触媒に、負のリスクをさらに世界レベルに拡大させつつありますから、事は以前にも増して甚大です。需要と供給は均衡せず、ただただ経済は縮小していく。無責任な国家の集合体の中心には何も存在せず、世界規模では何一つ統一した見解や行動を示せない。そういうのっぴきならない状況に来ているのです。
●現在の日本の政党政治にせよ、欧州共同体にせよ、ここまで機能不全にいたってしまっているのなら、いっそのこと次世代の経済体制として、グローバルレベルでの統制経済型社会を実現するということを志向するほうがよいのではないか。ユーロが市場最安値に迫ろうとしている新年早々の5日、私はそんなことを考えた次第です。

資本主義は勝利していないとバーで呟く(巌野)

●標題にそういう物騒なことを書くと以前ならあいつはアカだと言われかねないが、私だけでなくて多くの経済人がバーで実はひっそりそんなことを語っている。近代経済学万歳という具合にマスコミで騒がれてきた人も自問自答しているのを聞いたことがある。が、人前では言いにくいのだろう。とても小さい呟きである。
●カール・マルクスの本を学生時代に読んだ際の偽らない感想は、そこで書かている理想の姿の半分は、日本の姿そのものであるように思えたことだ。資本主義陣営の日本の頭脳は実は冷静にそうした著作を読み、経済運営に実務的に取り入れてきた半面で、白黒をつける局面では資本主義陣営ですとさらりと言ってのける図々しさで国際社会を生き残ってきたと思う。
●だから旧東側の体制転換の時期に、資本主義は勝ったといって浮かれている人たちがいた時、何となく日本は勝者でも敗者でもないなという風に考えていた。従って、それから二十年経っても感想は同じである。純粋かつ過激に資本主義を進めてきたアメリカの状態を眺めても、やはり資本主義が勝ったわけではないなとつい本音が出てしまう。
●そういう素直な感想を学者筋に話すと結構な反発がある。学者の世界は数十年にわたって、マルクス経済学対近代経済学という不毛な対立軸で論争と派閥争いをしてきたから、私のそういう文学的な表現が気に入らないのだろう。虫眼鏡や顕微鏡の中で動くミトコンドリアの生態観察のように経済を見ているので、微細すぎる現象と結果から話をしないと、議論にもしてもらえない。(少々脱線するが、学者なら経済学部とか法学部は肩が凝ってかなわない。世間話をするなら、美術史、理論物理学あたりのほうがいい。浮世離れしているなりに、ふと現実世界と通じる接点がある。)
●混沌の時代である。別に一昨年の恐慌にはじまったことではない。ずっと続いている。その間、たまたま経済的に潤った時代があったというだけで、その原因もまた日本の優越性云々によると自信満々に語るほどのものでもないということだ。過大な自信も反省も不要だが、実際のところそういうように理解した方がいいのではないかと思う。国家も、企業も、そして個人も良い機会だから見直してみるということだ。災い転じて福をなすという格言は、今のような時代に根本的に物事を見直すということの価値を説いていると、私は考えている。