裸の王様と薄熙来事件(久里田)

●土曜の晩に麻布で一杯やっているときに中国通のアメリカ人から薄熙来事件のことを聞かれました。まあどう思うかということでしたが、思うも思わないもとにかく真実がわからないと応えました。勿論報道から聞こえてくる内容は聞こえていますが、報道もどちらの側に立っているかどうかも不明で、どれもこれも信用するに足る情報がないので仕方がありません。
●その中国通の友人は、結構な責任と地位を持った人物ですが、面白いのは中国政府の崩壊の仕方というものをこっそり研究していることです。彼に言わせれば、今回の薄熙来事件で改めて中国共産党の”裸の王様(原文:The Emperor’s New Clothes)”ぶりが明確になった事件であるとのこと。賄賂・汚職を道端の中国人から聞くと、それは中国では当たり前のことだという。薄熙来が重慶市や遼寧省でのやってきた汚職撲滅運動を多くの中国人は眺めてきて、薄熙来だけは汚職はしないだろうと思ってきたが、彼と彼の妻があのような形で捕縛されているのを見ると、いったい本当に汚職を撲滅しようとしている共産党員がどこにいるのか聞きたい・・・とまあそんな内容でした。
●要するに汚職撲滅というのは一種の大衆向けのプロパガンダで、個人の問題を考えると誰一人汚職を悪だとは思っていないということです。アンデルセンの童話に登場する裸の王様にとたとえれば、中国では王様のことを裸だといってはいけないという明文化されていないルールがあるということです。場合によると中国の現在の中央首脳部にせよ同様のことではないだろうかという、彼の一言は非常に怖いものでした。
●煎じ詰めれば現在の中国の体制では、党中央部を含めて誰一人あと十年持つとは思えないということです。それも同様に、言ってはいけない暗黙の認識であるから、ハワイや米国西海岸の高級住宅地に中国人高級官僚の愛人や高級別荘が隠密裏に建設されているらしい・・・。だから中国政府の崩壊の時というのは、崩壊の時にいざ北京の中南海にいってみると、誰一人いないのでは・・・。まあ知人の見通しをまとめるとそういうことになるらしいのです。
●今回の薄熙来事件の無期懲役という結審の仕方は、ひょっとすると中国崩壊の始まりになるかもしれません。二代目・三代目になった共産党幹部は、裸の王様となった共産党を内心見捨て、さらに短期的な利益を追求するようになるでしょう。アヘンを禁じながら、裏で大量に販売して資金源としていた日本の関東軍や当時の国民党政府と同様に、さらに資金獲得にまい進するのではないでしょうか。悲しい現実ですが、中国の今後の歴史を考えると早く新政権を樹立することが肝要なのかもしれません。

裸の王様は誰だ~アンデルセンを読む(木羅)

デンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話「はだかの王さま」は企業社会でも皮肉のために用いられる物語だ。内容としては、新しい服が大好きな王様の元に二人組の詐欺師が布織職人というふれこみでやってきて馬鹿には見えない不思議な布地を織ることができるという。王様は大喜びで注文するが目の前にあるはずの布地が王様の目には見えない。勿論役人たちも馬鹿であることが露見するのがいやなので言い出せず同様に衣装を褒める。王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨み、見物人の子供に裸であることを指摘されるというものだ。周囲が見えなくなったワンマン企業の経営者にたとえて持ち出される童話だ。
●おもしろい童話として子供の頃から愛着をもっている物語だが、自ら社会人となり王様である経営者に接したりするようになると、笑ってばかりいるわけにも行かない。現実の社会では勿論王様もいれば役人・詐欺師もいる。おかしいと素朴に思ったことを飲み込まざるを得なくなる雰囲気はアンデルセンの時代とさして変わらない。
●大人になって子供時代に読んだ童話を手に取ったりする事が最近多い。懐旧の念が動機だが、結果的には自分自身大いに反省を促されるということになる。 この童話は原題としても示唆としての使われ方にしても非常に著名な作品である。殆どといっていい現代人が読み失敗を犯すまいと肝に銘じる書でもある。が、皆が意識していながら王様や役人と同じ愚をおかしてしまうのも真実である。教訓や反省の材料というものは再犯率が高いからこそ歴史的にも普遍的にも価値があるということになるのかもしれない。わたくしは日曜日の午後再びこの本を手に取り、数え切れないほど反省しなければならない自分を再び知ることになった。