アントニオ猪木待望論を説く(阿房)

●最近北朝鮮を訪問したアントニオ猪木氏を眺めて、阿房は久々に結構な期待を持っちゃいました。かつて”フセインに卍固め”などというフレコミでイラクを突然訪問したりと話題に事欠かない猪木氏ですから、当選後きっと何かやってくれるかと思っていた矢先の出来事だったからです。アレコレ、四の五の言ってため息をついているよりも、なんでもいいから行動しちゃうというのはやはりあの猪木氏ならではのことなのです。
●考えてみると最近失望の対象となっている維新の会という政党の中で、唯一党の名前にふさわしい人物ではないでしょうか。そもそも維新などというマンガチックな名前を使うあたり、プロレス興行のためにあるような名前です。猪木氏と長州力氏あたりがたすき掛けで運営していくべきものでしょう。言ってみれば一番核心に近い人物が登場したわけですから、この際党首も旧東京都知事や旧大阪府知事あたりから継承したほうがよいのではないでしょうか。
●阿房には込み入った政治や経済のことはとんとわかりません。大阪都構想はいったい何のメリットがあるのかもピンときません。旧東京都知事については、未だに太陽の季節しか知らない阿房からすれば、あの小説の最後のページに出てくる、主人公が仏壇にお香を一つかみして投げつける光景しか思い浮かばず、あえて言えば裕次郎のお兄さんということだけです。現在の両代表に共通する点は何だか無手勝流に秩序を壊して、マスコミに毒づくという点だけで、お国のために何か一仕事してくれそうな気がしません。
●それよりは、本家本元の吉田松陰や久坂玄瑞よろしく、黒船艦隊に単身乗り込んだり、御所に討ち入りを果たすという前代未聞の行動を起こす、理屈を超越した力強さのほうが、何か信頼にたる姿に見えます。維新という名前を今後とも使い続けるなら、やはり猪木氏しかいないのではと、繰り返し考えてしまうというわけです。

維新の会代表の発言に対する不愉快の源泉とは(ゲオルグ)

●昨日の維新の会代表の発言が話題になっています。慰安婦がどうしたこうしたというという話はドイツ人の私には歴史的な背景からあまりピンときていません。しかし後半の米軍司令官に対する彼の発言にはちょっと耳を疑いました。風俗店を基地が利用すべきだと司令官に提案し、先方から断られておきながら、戦争というものはそういう産業が必要なんですと、更に勧めた、という部分です。70年近く戦争から遠ざかっている国の若い政治家が、ベトナム戦争まで体験した米軍司令官に提案するような内容ではありません。また歴史の中に存在する様々な感情を汲み取れてこなかった、この人物の軽薄さというようなものがはっきりと見えて、珍しく吐き気を催しました。
●ドイツでは戦争の時代の記憶は日本と同様、封印しておきたい部分が多々あります。第二次大戦での弁明不可能な加害者の立場から、東部戦線からベルリンにいたる地域での旧ソ連軍による強姦や略奪というのは正式な統計記録もなく、祖父や祖母からの言い伝えだけで継承されています。そういう一つ一つの言葉の中にあるのは、戦争という行為が人間のきわめて汚い部分を濃縮して発散させてしまうものだということで理解してきました。殺人も強姦も合法、麻薬や闇取引が跋扈する。およそそういうものだということです。
●この代表は、そのような醜い戦争のむごたらしさ、目を背けたくなる人間の浅ましさといったものを、風俗店で面倒をみてやればいいじゃないか、といいたいのでしょう。必要悪に対する合理的な問題解決という風に本人は理解しているのでしょうが、およそ人間の救いがたい傲慢さに直面したことのない、金属音のする言い回しです。この言い方を延長していくと、麻薬も仕方ないじゃないですか・・・、殺人っ、まあいいんじゃないですか戦争なんだから・・・、などということに簡単にいきそうです。
●反面米軍司令官のコメントには少々感心する部分があります。単に米軍内規に違反するからというだけでなく、おそらく軍務の中で見た様々な異様な光景から学んでいるのでしょう。某代表のように弁舌爽やかにではなく、静かに謝絶した姿勢の中には、それほど単純に解決できない様々な問題の深さを肌感覚で知っているというように理解できまるのです。
●本論にもどります。私の中のどうにも不愉快なこの気持ちの源泉は、どうやら某代表の発言の中にある、近代合理性というものに尽きると思います。原因と結果、課題と対策などシンプルな因果関係の線を引くという、デカルト張りの論陣です。実は現実的な問題の解決には常に非合理性が付きまといます。美しい合理性を求めれば求めるほど、説明のつかない事象に遭遇するものです。これは私が現実世界で学んだことです。そうした非合理性の代表的な存在である、説明のつかない感情のようなものを、100円ショップで買ってきた安価な包丁ですぱっと切って、どうだすごいだろうと得々としているというように、この人物の姿は映ります。まことに不愉快です。ブレーゼ・パスカル等は法学部や弁護士養成所では教えないのでしょうか。