猪瀬直樹氏の答弁を見る(隈川)

●都議会の猪瀬氏の答弁をみました。大変痛々しいものでした。ノンフィクション作家としての語り口はそこにはなく、ただの不器用な老人がいるばかりでした。そもそも東京都の副知事などになるべきではなかったなというのが私の偽らない思いでした。
●やや高慢で鼻持ちならないといった風の、元来の彼の姿を思い出します。少なくともただいま現在のような、真綿にくるんだ丁寧語などを、マスコミを前にして話すべきでないと。そんな風にあるぐらいだったら、そもそも政治の世界にでるべきではなかったし、もちろん知事になどなるべきではなかった。この際、都知事を辞職して原点にもどりなさい。私の中には自然にそういいたい感情が芽生えていました。
●徳州会問題の真偽などこの際どちらでもいい。選挙の前に、日常的でない高額の借り入れを行って、いまさら否定してなんになる。あっさりと認めればいい。否定しようがしまいが、東京都から補助金を7億円をもらっている医療法人から、無担保の借り入れをおこなったのだ。はっきり政治資金目当てだったといえばいい。少なくとも猪瀬氏がこちらの側で自分の事件を眺めたら、彼自身もそういったに違いない。
●しかし一体どこからこのようなことになったのだろうとふと考えてみた。ミカドシリーズを書いていた頃の猪瀬氏はよかった。マスコミに登場する機会が増えて、審議委員会やら、第三者委員会やらに登場し始めた頃から、何か間違った道に入っていたのだろう。切れやすい困り者だったはずの男が、カネの使い道を釈明する情けない老人に変わってしまった。まことに情けない。久々に涙が出ました。

見えていた敗戦(木羅)

●わたくしの家族には被爆者が多い。勿論死んだものもいる。だからというわけではないが、わたくしにとって敗戦は他人事ではない。
大江健三郎氏の「ヒロシマノート」に祖父の手記が残っている。練り上げた文章というより、被爆時広島市内に出ていた息子(わたくしの叔父)を探す父親の心境が痛切に記述されている。死体がみつからず、大田川沿いをあてどもなく彷徨う祖父の姿をふと思うとき、あの敗戦はいったいなんだったのかという疑問は、わたくしにすら感じられるテーマである。
猪瀬氏のこの本には、日本がパールハーバー以前から総力戦研究所という組織をつくり、戦争で勝利するためのシミュレーションを真摯に行っていたという事実が記述されている。長期化にいたればすなわち即敗戦という事態を招くことが結論付けられてもいた。ただ肝心なのは、そうした分析結果・討議内容などを当時の日本政府の体制では、強固な責任意識を持って受け止められなかったということではないかと思う。
●当時の政府の要人(東條他)というのは、どちらかといえばきわめて調整型で日和見的な官僚型であり、その意味ではナチヒトラー等とは大いに相違する。が、逆に戦争という巨大事業の放棄を途中で英断することもできない面々であった。開始も終了も他力本願的な色彩があり、自分たちの手で解決できたことはおそらく何一つなかったのではないかと、わたくしは考えている。
●敗戦について考えるとき、被害者としての視点を除き、何故敗れたかということを冷静に分析することをこれまであまりしてこなかったように思う。皆が大変だったという風な論調で整理したほうが精神的に楽だからであろう。しかし、この敗戦の原因は今も日本社会に面々と受け継がれているものでもあると考えるが故に、猪瀬氏のこの本の価値は大きいと、わたくしは考える。