宿命に目覚める~山本一力「蒼龍」を読む(小宮山)

●作家の山本一力氏にはどこか親しみを感じる部分がある。個々の作品もさることながら、バブル経済の崩壊で多額の借金を背負いながら小説を書き続け、直木賞を受賞するに至る人生そのものに対しても、何か他人事でないと思う部分がある。わたくし自体、バブル経済の華やかななりし時代に青春時代を過ごしただけに、あの時代の異常な価値観や、終焉後の尋常でない沈滞振りを思い出すのである。
●自分は一体何者であるのかということは、人間にとって普遍的に存在する自問自答である。経済的な成功や栄達が全てではないと言い切ることも難しいが、お金が全てであると断言することもなかなか難しい。人は或る意味でとても難しい生き物である。しかし、バブル経済のように投資すれば必ず回収時点で利益が出るというような幻想を生んだ時代には、本質的に自分に対するこうした自問自答を一時的に停止することができた。お金があればうれしくない人はいないだろうし、宿命性について議論するのはもう少し後でもいいと人は考えるものである。或る意味で本質的な問題はまず棚上げして、モラトリアムを生きるという一面がこの時代にはあった。
●山本一力氏もそんな人間の一人だったのだろうと思う。小説家として作品を書くエネルギーが同氏にとって本質的な意味で宿命であるとすれば、不動産売買に狂奔することそのものは、一時的なかりそめのものであったはずだ。作品を書くことしかない、或いは書くということが宿命であると考えるのは、経済が一転崩壊に向かってからであろう。皮肉なことだが、宿命性を認識するのは喪失感の中であることが多いといえる。
●山本氏がはじめて文壇に登場するきっかけとなった、作品「蒼龍」の中には、同氏のそんなこころの動きが投影されている。大借金を抱えた大工が起死回生を狙って茶碗の新柄の公募に挑む姿は、山本氏自身の姿であろう。借金を返済するつもりで始めたにもかかわらず、本質的には茶碗に絵を描くことに無類の喜びを覚える大工の心の動きも、自分の宿命性を自覚した山本氏そのものである。荒削りながら、この宿命性を自覚した強さとでも言うべきものが、この作品にはあふれているといえる。一時的な成功に左右されず、根源的な力強さを求めてやまない人にとって、深く考えさせられる作品と作家である。同時代を生きるわたくしにとって愛着と共感を生む所以でもある。

山本一力著「あかね空」を読む(木羅)

●遅ればせながら山本一力氏の「あかね空」を読んだ。冷房の効いた東横線の車内、或いはファーストフード店の中で一気に読み終えた。含蓄があり、また読み易い文章であったが、なにより面白いということが熱中できた理由である。400ページほどの長編だが、延べ数時間しか必要としなかったのはひとえにそのことにつきる。
江戸時代深川を舞台にした作品である。京都からやってきた永吉が深川で豆腐屋を開くところから物語りは始まる。京都仕込みの味にこだわる永吉は江戸っ子の舌にはなかなか合わないという辛酸もなめるが、妻となるおふみ、或いは義理人情に厚い周囲の人々の手助け等により、暖簾を大きくしていくという物語だ。親子2代に亘って描き出す家族の姿には、恐らくこの作家の原点とでもいうべきものがあり、なんともいえず読み応えがある。
●ただ気になる部分もある。永吉とおふみがなくなった後からの展開があまりに性急である点。長男栄太郎を溺愛するおふみの感情というものの描き方にやや不十分なところがあり、物語の必然性に少々傷を作ってしまっている点などである。構成として先に仕上げてあったが故に、個別の登場人物や物語自体が自ら主張するキャラクターを殺してしまっているように思う。やや作家の構想力だけで一人歩きしている感があるのは否めない。
●とはいえこの作家には根源的な力がある。家族を中心とした情を描きこむ必然的な感情があり、読者を飽きさせない筆遣いの妙というべきものもある。この作家が今後発表していく作品には、愛読者として付き合っていきたいとわたくしは考えた次第である。