大草原の小さな家のラスト・シーンは日本で何故放映されないのか(阿房)

●大草原の小さな家というドラマがあります。1980年代に世界で最も人気のあったテレビドラマですが、日本のNHKで放映されたのはシーズン9あたりまでで、アメリカ本土で放送された最後の3回の特番については放送されていません。既に20年以上も時間がたった話なのですが、その当時なぜ放映しなかったのかという理由が妙に気になります。今さらなんだという風にも思うのですが、最近偶然そのラストの特番をyou tubeで観る機会があり、その理由がなんとなくわかったような気がしましたので、敢えて投稿してみることにしました。
●このドラマ自体は、主人公のローラ・インガルスが主人公で、その家族との出来事が中心に話が進みます。南北戦争後のアメリカの、質素で朴訥としていながら、豊かな自然と愛情あふれる人間模様が魅力で、政治家などにもファンがいるぐらい日本でも人気のあるものでした。ただ主人公のローラが結婚し、子供が生まれるあたりから、徐々に両親(特に父親)が画面から消えていくことになり、人気にも陰りが見えてくるようになります。そういう背景の中で、番組自体が幕引きを迎えるのですが、その最後の作り方があまりにも、ドラマ作りとして日本の視聴者にはなじみ難いものに思えるのです。
●問題のラストですが、不動産関係の業者によって、ウオールナット・グローブの土地を買い占められた、ローラや隣人たちは、自分たちの家や土地を奪われるくらいなら、いっそのこと町全体を爆破してしまったほうがいいという結論にいたります。従って最終的に、主人公のローラや両親、オルソン夫妻やドクターなどメイン・キャストが勢ぞろいで、ダイナマイトで町を粉々にしてしまいます。少々でもこのドラマを知っている人なら、このシーンは非常にショキングな光景です。日米の文化差というべきか、ドラマ制作者のセンスのなさというべきわかりませんが、このような大団円はあってはならないものであると思います。
●人気がありすぎる物語の宿命なのかもしれませんが、劇的な結末を導きだしたいという思いが募りすぎたのだと思います。NHK側の担当者も恐らく、そういう蛇足的な締めくくりに対して失望感を受け、視聴者に見せたくないと思ったに違いありません。実際のところ、私自身もyou tubeでわざわ見なければよかったなと思ったぐらいです。テレビであれ小説であれ、その物語の価値は、人間の死とある意味で同じで、最後の時間の過ごし方にかかっている部分があります。終わりよければすべてよしというのは、非常に的を得た言葉なのかもしれません。

チャールズの宿命(東宮)

●わたくしの人生の過半にわたって再放送を繰り返していたドラマの中に、「大草原の小さな家」(Laura Ingalls Wilder, 1867-1957)がある。家族の原点というものを非常に素朴に描くドラマで、物語の魅力というものを改めて考えさせられる作品である。勿論わたくしのお気に入りであった。
●今日煙草をのみながら(何故かはわからないが)ふとその中の一コマを思いだしたのだ。内容は、父のチャールズが自分自身がこの時代に生きた証として家具を作り、後世に残したいという希望を抱くというもの。ドラマの方は、チャールズの作った人気のあるテーブルをそっくり他人に真似されたりして、商売そのものを途中で打ち切る結果になる。
●わたくしは人間にはある意味で宿命的なテーマがあると考えている。チャールズの場合それはテーブル作り、そして家族である。時に経済的な危機があり、生きていけなくなったときもまずその宿命的なものを中心に考えざるをえない。これをすることで生きていかなくてはいけないと考える。チャールズの場合、ドラマの中では途中で断念するかたちになっているが、本当はひそかに続けていったのかもしれない。人はそれほど簡単に宿命的なテーマから逃れられないと考えるからだ。
●常に原点に立ちかえりたいと考えているわたくしは、このシリーズの素朴なテーマに今も深く魅了される。