1837年の大塩平八郎の乱は幕藩体制崩壊の序章である(浦崎)

●幕末の時間の中で真の意味で衝撃的な事件というのは大塩平八郎の乱ではないかと思います。大阪奉行所の与力だった男が、幕府に物申すといった趣旨で起こされるこの反乱は、言ってみれば内部告発者による革命であるからです。外様大名や薩長の下級藩士の起こすものとは質的に相違します。
●私などが関心を持つのは、この反乱の背景です。前々年の1835年に始まった天保の大飢饉で米不足になり、米の買占めや独占を行う商人や幕臣の姿に深く心を痛めた大塩が、自ら反乱を起こすのです。ある意味国家の危機的災害において、如何にその危機に対処するかということは古来から為政者の能力が試される部分があり、この時の幕府の無能振りが大塩の決起をあおったといって間違いないでしょう。
●政治の体制が徐々に勢力を減衰させていく過程では、ペリー来航などの外部からの圧力だけでなく、天変地異や内部瓦解などのプロセスを経ることが多いといえます。幕末の時間の中では、幕府が本質的に崩壊プロセスに入ったといえるのはこの反乱からであるといってよいかもしれません。ペリーが浦賀に来航する1853年からさかのぼること15年前で、まだまだ幕府が磐石と言われた頃の出来事です。
●昨今国内で生じた大地震などはある意味そういう大きな変化・うねりの予兆にみえなくもありません。対応した首相が矢面に立っているように見えますが、実際のところそれが自民党であっても大差なかったのではないかと思います。むしろ既存政党の無策・無能に対する失望感が増しただけのことで、今後は与党・野党を問わず実りのない内部抗争が続くだけではないか、そんな風に思います。国会議事堂で日々繰り返される無味乾燥な議論は今後大塩のような内部関係者の造反・革命を誘発する導火線となるのではないか、昨今の状況を眺めながらそんなことを考えた次第です。