オカルト実地体験~自分はチベット僧だったのか(阿房)

●実は1989年のチベット動乱の時に長期間同地にいたことがある。20年前のことである。基本的に入境許可証が必要であり(当時は開放都市が限定されていた)、実質的にはいってはいけない地域だったのだが、四川省の成都までいくと何のチェックもなくネパール方面にいくことができた。大国であるから貧乏学生を制限できるような余地はなかったのだろう。
●今では鉄道もできたらしいが、当時はバスでのんびり何日もかけていく。成都を出発してから、寄り道もしたので一週間くらいかけてラサに入った。ラサからは、(冬だったせいもあるのだが)公共の交通機関もなく、トラック等にヒッチハイクして、のんびりと進んだ。暴動が起きていた時期にはシガツェという街に着いたところだった。
●ところがどうやらアメーバ性の下痢になり、そこで動けなくなった。確か2月頃だったろう。高熱が出て全身が痺れた。体重が十キロもへり、たぶん知り合いが見たら別の人物に見えただろう。更に(当時は)病院らしい病院もなく、外貨を交換できる銀行もなかった。仕方がないので、小額の米ドル紙幣をちびちび使いながら、自力で回復を待つほかなかった(その当時は民家で1ドルを渡すと喜んで1晩とめてもらえたのだ)。
●そういうわけで、2か月もシガツェという街に滞在する羽目になった。頼んでとめてもらった家には何人にも人がいたが、来た翌日から「おまえはチベット人の何某の生まれ変わりだ」と言われた。その家の住人がそう言い出すと、噂が広がって道を歩いて、当時街に一軒しかなかった食堂にいく道々でも、見知らぬ老人や子供からもそういわれる。挙句の果てには、有名な寺(タシルンポ寺)の僧侶たちまでもがそう言ってくる。
●チベット語がよくわからないから、理解は生半可だが、どうやら顔が似ているというだけではないようだ。左足の脛にある傷や、雰囲気、話し方がそうなのだという。最後には宿の主人が来て、とある家の近くに連れて行き、その家の中のレイアウトや住んでいる人の名前を言えといってきた。どうやら本当に生まれ変わりなら覚えているはずだというのである。病気で気力も体力も失せていたので、早く戻りたいとの思いで、質問には頭に浮かんだことを適当に喋った(正確にいえば喋ったというより、ジェスチャーをしただけ)。そうすると、やはりお前に違いないということになった。キツネにつままれたような出来事だった。
●そんなこともあって、それ以来毎日親戚だという女性が昼間やってきて看病をしてくれたから、病気は回復し、普通に戻った、大学がそろそろ始まる時期だからそろそろ帰ると彼らに伝えると、また来いと言って、老婆が形見の品を私に手渡した。私は彼女の兄なのだという。孫だ名乗る人に、ラサまで送ってもらい、私は帰途に着いたが、それ以来、やはり自分はチベット人だったのかとふと思うことがある。名前はともかく、僧侶だったという言葉が耳に残っているのだ。
●転生という言葉が面白おかしく伝わっている国では笑い話になるのだが、あの時のチベットではかなり真面目な話題だった。私はチベットで生まれたが、日本で転生し、再びチベットに帰ってきたのだというのだ。私の中では、それは単なるオカルト現象の一つと思えない。時にその時の光景や、それと似たような夢を見ることがあるのだ。仏教だけに限らないのだが、最近抱くようになった宗教関連の書籍への興味等もどこかつながっているような気がするのだ。
●再びシガツェを訪問した時、どうなるのかをふと思うことがある。が、あれ以来まだ実現していない。老婆はたぶん他界しているだろう。ただ、生まれかわっているのなら、再び私の前に別の姿で登場するのかもしれないと思う。転生というのはそういうものだろう。

オカルト実地体験~前世は存在するか(阿房)

●文京区のとある場所に出向いてみたのは昨年の春のこと。単なる好奇心で前世調査のヒーリングに一度参加してみることにした。知り合いの紹介だから料金は不要だったが、いきなりこういうジャンルのものにお金を出す人がいるのかということに、非常に不思議な気持もあった。確か千代田線沿線だったと思う。
●部屋に入って話すうちに、基本的には催眠治療のようなものであるということがわかった。ワイス博士等が行っている手法の延長であるらしい。だから突然知らない霊媒師のような人が出てきて「あなたはこういうものです。」と断言するような形式ではない。半睡眠状態にある自分が自分の目に見える光景を語るという類のものだ。深く考えず、見えるものを語り聞こえてくるものを答えるので、睡眠から覚めたあとも自覚症状がある。従って、こうやって話しをしたり、書いたりすることもできる(真偽はともかく)。
●見えたものはいくつかある。一つは馬に乗り、恐らく欧州のどこかを旅している光景だ。宮殿のようなものが見えてそこを目指しているらしい。向かう先で王様に何かをささやく商売をして生きていた時代があるということらしい。
●二つ目は、海賊にさらわれた幼児のものである。背景は不明だが、海賊にさらわれたまま育ち、本物の海賊になる。そして(たぶんスコットランドだと思うが)、強奪のためとある町に押し入り、何人も人を殺す。殺したことで悔恨の念をもち、キリスト教に帰依するというものだ。その宗教がキリスト教で場所がスコットランドだと思ったのは、古英語もしくは中英語で書かれたような聖書を必死に読んでいる自分の姿が見えたからだ。
●最後に見えたのは、らせん階段のある図書館で司書をしているものだ。巨大な図書館で、図書の種類は活字で書かれた書物以外に膨大な美術品もあり、その目録をひたすら作っている自分がいる。たぶん教会組織のどこかに属していたのだろう。組織の内紛に巻き込まれ、畜舎のような小屋の中で一人餓死するという最後を迎える。16世紀のどこかで、名前はフランクという。何の根拠もないが自分が喋っているというだけだ。
●こういうオカルトの話だから何の根拠もない。ただ自分が喋っているというだけで何の説得力もないが、無意識的に創作しているとしても自分の中にある自分の姿なのだろうと思う。ヒーラーいわく、前世かどうかは正確にはわからないが、潜在意識のどこかにその3つの自分がいるということであると考えればいいのではないかということらしい。面白い体験である。
●自分が何者であるかという問いが人生の中で最大の謎であり、また恐怖でもあるのだが、こういう種類のオカルトでも結局はそこにいきつく。今回紹介した前世云々というものも、都市伝説的に世間の興味を引いているとのことだが、究極の姿はそこにあるのだろう。自分探しの旅というのは終りがなく、宇宙が終わるまで延々と続くものであるらしい。