Robert Thurman教授を再びTEDで見る(ゲオルグ)

●時間ができたので、久々にロバート・サーマン教授をTED Talkで見ました。サーマン氏のことをユマの父親と呼ぶ人がいますが、私からすると、ユマが映画に出るようになったとき、へえロバートの娘か、と思ったぐらいなので、何だか妙な感じです。若かりしロバート教授に薫陶を受けた私からすると、二十代三十代の人とは随分世代間ギャップがあるということでしょう。
●さてこのTED TALKですが、7年も前のものです。Facebookで案内が回っていたとき私は海外出張中で妙に忙しかったので、拝聴できず、現在に至ったのです。内容的には、インドのアサンガという人物が体験した出来事を通じて、チベット仏教における輪廻転生と、生きとし生けるものに対する愛情の持ち方を、教えてくれている内容です。
●仏教にそれなりに通暁している人からすると、目新しさは今一つかもしれませんが、輪廻の説明において、牛馬も前世は母親だったかもしれないというチベット仏教の教えになぞらえて、ジョージ・ブッシュやチェイニーを母親だったのではと思って訓練に励んだ、サーマン教授のアメリカ人らしい話はなかなか傑作です。普通のアメリカ人にわかりやすいように、先生自ら考えたシナリオなのでしょう。
●しかし個人的には、やはりサーマン先生の場合、二十代の時に交通事故で右目を失ってから一年間でチベット語をマスターするまでの話が、最も秀逸で心打たれるものだと思います。残念ながらTEDにも主要なメディアの記録の中にも見当たらないので、図書館ででも探してみなければなりませんが、直接目の前でその話を聞いた私には、人間が転換点を迎える瞬間というものとはいかなるものなのか、ということを、非常に深く理解する契機になりました。何かと軽妙で拝金主義的で洒脱なな人生観が氾濫する現代において、 サーマン先生の言葉はいつも心にしみて、私自身を考え直すきっかけを与えてくれます。

死は絶対ではなくただの通過点ではないか(巌野)

●現代は自殺を悪だとしている。決して間違いではない。しかし反面その矛盾に社会はもだえている。戦国時代から江戸時代に掛けて切腹という儀式が存在した。歴史的な儀式であるから現代の常識だけで裁くものではないと考えてきた。昨今そこそこの年齢になってみても、やはり自殺を一面的に悪だと決め付けることにはなにやら違和感がある。
●近代になって日本では、明治天皇の崩御に伴う殉死の問題や、森鴎外が高瀬舟で描いた安楽死の問題がと取り上げられてきた。いずれもよいとか悪いとか言う基準で判断はできないものだと、個人的に感じた問題だった。まじめに考えてみると、社会全体で死ということを絶対視しすぎているのではないかと感じることが多くなった。ある種のやむにやまれぬ事情というものが社会に存在する以上、存命し続ける苦痛や悔悟を絶つ手段を悪だと決め付けるのは行き過ぎた議論ではないだろうか。
●特に古代のチベットやエジプトの死者の書などを読んでいると、死後の人間がすごす時間のことについて多くの記述があるから、むしろ死自体がひとつの出発であると考えるようになった。各国の宗教などはこの死後の旅の途中で閻魔大王を登場させてみたり、天国と地獄をつくり上げたりと、生きていた時間の総括が行われると定義しようとしているが、こうした定義はキリスト教ならローマ帝国の国教となって以後、仏教なら仏像を作ったりして宗教団体の色がつき始めて以後のことだろうと思う。善悪の基準を持つようになったのは、個々人をマクロに統制しようとする世俗権力の利益にかなっていたからだ。故に本来あの世と呼ばれる旅が存在するならば、淡々と続く一本の道になっているはずだと、私は思うようになった。要するに死は絶対ではなく、ある種の通過点に過ぎない、また死を恐れる必要もないし、生と死に無関係にただ自分の志を貫けばよいではないか、まあそんなことを考えるようになった。
●従って死そのものは所詮けじめのつけ方ではないかと思うようになった。だから病死がよくて、自殺が悪いという言い方は論理的に妙である。病気の痛みを知らない人間が無理に延命をすすめるのも失礼であるし、自ら苦痛から解放されようとすることをとがめることは不躾である。
●私は数多くの自殺事案に遭遇してきた。いずれも非常に悲しみに満ちていた。しかし本当に故人の事情を深く知る私の中には、その人たちが新たな旅に出る準備をしたのだと考えたい。そこに妙な価値観を持ち出してほしくないし、ましてや宗教団体の一部のように自殺者は墓に埋葬しないなどという愚行もしてほしくない。彼らはわれわれ生きている人間たちよりも、少々早く、自分の意思で旅立っただけなのだ・・・。多くの社会的な倫理観に反するかもしれないが、多くの愛すべき人々の死を私はいつも尊重したいと考えている。

神々の峰~チベットを歩く(浦崎)

●今から15年以上前、わたくしはチベットの町シガツエにいました。季節は2月末で、風は強く、寺院から見る空の色は限りなく神秘的なものでした。
●首都ラサからネパールカトマンズまで冬季の定期便は空路も陸路もない中、わたくしはドイツ人旅行者の呼びかけに応じてチャーター便のバスに乗り込み、カトマンズに向かったのでした。しかし、中国製のバスでの悪路走破はなかなかにして厳しく、結局のところシガツエという町で長い間足踏みすることになったというわけです。
●外国人の殆どいないこの町で、代替便を待ち焦がれる数多くの人間とわたくしは一緒でした。彼らの中心はシルバー世代のフランス人でした。多分年齢的には40-60位の年齢のかたがたでしょう。暇をもてあます中彼らとの話にずいぶんと癒された記憶がわたくしにはあります。
●彼らとかつてチベットを訪れた偉人についても随分と話をしました。ただその中で今まで聞いたことがない名前が多数でてきました。ハインリヒ・ハラー、河口慧海多田等観。いずれも鎖国状態にあったチベットに潜入し、ダライラマに謁見して家庭教師を勤めたり、多数の仏典を持ち帰ったりした人々の名前です。
●チベットという地域はひとつの芸術作品のようなものだとわたくしは考えています。人間のあらゆる努力を排除する威厳ある孤立、そして神秘的な空。わたくしはしばし高山病に苦しみ激しい下痢にも苦しんだりしました。或る意味で記憶の過半は苦しい場面の一こま一こまです。しかしこの万難辛苦を乗り越えてつかむべき何事かがこの地域にあり、またそれを求める人々がいる、ということについてわたくしは今も心を動かされます。