願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ(浦崎)

●暖かくなって来たと思ったら、今日は結構な寒さでした。とはいえ個人的にはこの時期がもっとも好きな時間です。長い冬が終わって春がまだ来ていない。これから桜が花をつけるという期待感だけで、肌寒さが心地よくどこか深い部分を揺さぶるのです。
●この時期になると思うのは西行法師のことです。平安時代末期に北面の武士の職をなげうち仏門に入った人物です。彼の遺した歌”願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月のころ”という言葉の響きの美しさを思い出すのです。春と死という言葉が同じ歌の中でこれほど美しく共存・共鳴する作品を私は他に知りません。同時期を生きた平清盛のような栄達物語とは無縁だった西行が、現代まで価値を伝えている理由は、この歌に尽きるといっていいのではないでしょうか。
●最近よく泉岳寺から御殿山あたりを散歩しています。御殿山は幕末を迎えるまでは桜の名所だったようです。ペリーが浦賀に来航してから、いつ外国船が江戸湾に進入してきてもいいように、以前は小高い山だった御殿山近辺の山を取り崩して、台場などを築いたということのようです。確かに江戸時代中期までの浮世絵などには、御殿山で花見をしたというようなモチーフの作品が沢山あります。桜の花が満開の御殿山を思い浮かべて、何だかよい心地になってきます。西行のよむ春の花を、心待ちにしている自分がいるようです。
●しかし何故この歌にある”死”は、悲しみの対象でなく、美しさの源でありえているのでしょうか。散歩しながら考えたのは、死という絶対的な壁を前にすることで、生がもっとも華々しく、鮮烈に自己主張する、ということです。人間はえてして生きる価値を、”生きている”価値と混同しがちです。死を目前にして、その動かしがたい現実を抗いながらも受け入れ、遺された時間を、能動的に生きる、そういう価値が、生きる価値ではないでしょうか。西行は、その時間と空間に、美しい春の花が咲いていてほしいと、この歌の中で、詠んだのだろうと思います。
●世界はますます科学技術が進歩しています。人間の延命技術はますます発展するでしょう。進歩自体を否定するものではありませんが、一方で能動的に生きる価値というものを現代の人々は忘れてしまっているようにも思います。生きるということは、西行の歌に例えれば、春の美しい花を眺めるということでしょう。逆説的ないい方ですが、そのために西行の生は意味を持ちえた、ということだろうと思います。死を受け入れて、なお光彩を失わない何かのために、生きてみよう。久々に私はそんなことを考えました。

鎖国する個人の姿(阿房)

●実は昨日iphone6の機種変更を行うためにソフトバンクにいってきました。世間に疎い私は在庫状況など知らないので、店員さんに機種変更できますかというと、できません、ネットで予約をしてください、と冷たく言われました。あまりよい気分ではないので、この際買い替えをしないと固く誓ってしまいました。
●帰る道々いろいろ考えましたが、そもそも携帯を使う機会がどの程度あるのでしょうか。無料の通話サービスが普及しているし、アナログ人間とはいえ、けちな私は殆ど通話は会社の電話を使っています。娘にこの点質問すると、殆どラインとかいうサービスを使うから、電話どころかメールも使わないんだとか・・・。いやはや世の中変わるものです。
●こんな世の中の流れを見てくると、何だか世の中どんどん直接的なコミュニケーションをさけるようになってきているように思えてきます。部屋に閉じこもってスマホでかちかちやるような人ばかりが増えて、実際のところ一度も会ったことがないというカップルもいるんだとか。何だか気色の悪い世の中です。
●とはいえこれだけ情報が流通すると、世の中との付き合い方を考えたくもなります。面倒なことから距離をおいて、自分自身の自由とプライドを守るほうがいいんじゃないのってなことです。歴史に例えれば江戸時代の鎖国政策のようなものです。日本以外では、日本から圧力を受ける前の朝鮮半島、アヘン戦争前の中国などもこの政策を実施していました。外国と付き合うと貿易の富は生み出せるかもしれないが、その代わりに得体の知れない病気や、貧困、戦争の種などを輸入する羽目になるから、両方足してみると鎖国のほうがましだということのようです。ある種説得力のある内容で、今おかれた世界中の個人の状況と似ている部分があるような気がしてなりません。
●何事も世界規模で流通するようになりました。お金、戦争、病気、食べ物などなどです。難しい経済理論ではその方が世の中にとっていいという理屈に基づいているからです。しかしこの理屈で置いてきぼりにされているのは、個人という存在であるのも事実でしょう。世界中に拡散された情報の氾濫によって、人は自分自身の価値観を喪失し、偽の共同幻想のような情報に右往左往され続けています。いっそのこと鎖国でもして世間との距離をとりたくもなるというわけです。
●先日とある山の中に隠遁している大先輩のところにいってきました。大先輩いわく、自分の行動はある種の鎖国なんだそうです。鎖国といっても、電気も水道もあるし、電話もつながる。でも近隣の住民とのコミュニケーションは完全に直接的な会話なんだそうです。外部とは鎖国して、内部との対話は緊密であるというのは、一種の生活圏の防衛で、個々人の尊厳の維持なんだ、ととても難しいご高説を賜ってきました。言いえて妙です。私もどこかの限界集落あたりに隠棲したいなあと妻に語ったら、勿論とんでもないと逆に説教されてしまいましたが・・・。

キューブラー=ロス氏と十牛図(浦崎)

●臨死研究で著名なキューブラー=ロス氏の本を久々に再読した。折に触れてこの人の著作を読みたくなるのは、どれだけの時間を生きてきても、なお死に対する理解が不足しているからだろう。哲学的に言えば、逆説的だが、今もって生きる意味ということも十分に理解していないということなのかもしれない。
●ロス氏の話の中には必ず死を受け入れるまでの人間の5段階のこころの変化が描かれる。第一段階は否認と孤立、第二段階は怒り、第三段階は取引、第四段階は抑うつ、第五段階は受容である。第一から第四まではある程度の時間生きてきた人間なら、人生の屈曲点と同様の部分があるから理解は難しくないが、第五段階で完全に死を受け入れて、なお尊厳をもって残りの時間を生きたいという心境に至る、という部分は、なかなか自分の中で消化できかねる部分であった。
●今回再読してみると、その第五段階がなぜか自然に受け入れることができた。例えて言うなら、禅宗の十牛図を眺めて、ふと腹落ちした一年ほど前の瞬間に近い。十牛図は、牛を追いかける童子に例えて、悟りにいたるまでの心境の変化を絵にしたものだが、最後の段階になると追いかけていたはずの牛のことも忘れてしまうという部分が、なぜか同様、心にしみたのだ。何としてでも生きていたいという気持ちというのは、ある意味で禅宗でいう煩悩ではないかという気がしたのだ。死ぬという動かしがたい事実を受け入れて、そこから生きるということを自然に眺めるという心境は、従って禅宗で言う悟りという概念に近いといえるのではないか、そんな気がしたのだ。
●個人的にいろいろな宗教がいう死に関する本を読んできた。数千年の時間の中で医学や科学は進歩し延命の技術は進んだが、死そのものを回避する方法はいまだにみつかっていない。だから死が決定したあとのことは、諸宗教が記した文献だけが唯一の道しるべである。キューブラー=ロス氏は医学の専門家でありながら、死が決定したあとの時間について、多くの材料を提供してくれている点で、極めて貴重な人だったと思う。

斬首刑のなくなった現代の生と死を考える(永野)

●斬首刑という刑は現在の社会にはない。しかし過去を眺めれば、日本だけでなく欧州などでも歴史的に存在したものだ。文化圏が違うにもかかわらず、どの国においても首切り役人がおり、それをじっと見つめる観客がいた。目的は罪の精算として見せしめにするということもかねているのだ。
●人間は首を取るということを象徴的に扱っている。県知事や市長のことを首長というし、組織のリーダーのことを首魁と呼ぶ。また免職のことを首切りということもある。それを公然と大衆に示すことが、反乱の鎮撫には有効だったということだろう。残酷だが、事実には違いない。
●日本において政府が最後に斬首刑を実施したのは、明治早々期の江藤新平に対するものである。既に江戸時代を終了して、新しい司法制度も出来つつある中で、佐賀の乱の責任者である江藤に対して、当時の内務卿・大久保利通は敢えて斬首刑を適用する。不平士族たちの不満を押さえ込むには、残虐性は高くてもこの措置が一番効果があると考えたのだろう。その時代に効果がどれほどあったのかは実際のところよくわからないが、現代人からみてもその迫力のすさまじさはひしひしと伝わってくる。
●現在の世界は、長い歴史を経て、残虐性というものに蓋をすることを良しとしてきた。言葉の上だけで、首にするとかしないとか言ってみても、実際に首を打ち落とされることはない。会社を辞めたければやめればよいし、犯罪を犯せば刑務所で服役すればいいことになっている。従って、世の中でおきていることはすべて伝聞で済まされる。伝聞でしかしらないにも関わらず、人は簡単に、命がけでとか、首を掛けてという。非常に言葉が軽々しくなっているように思う。
●社会は今後ますます仮想現実の度合いを増すだろう。現代から斬首刑が消滅したように、目を背けたくなる現実から人はどんどん遠ざかろうとするに違いない。しかし目を背けても現実から完全に逃避できるわけではない。どれほど世の中が変わっても、人が死ぬという現実は変えようがない。過去の人々は、斬首刑をみて敗北と死を徹底的に教え込まれたが、現代人は自分が直面するまで、恐怖感はあっても、死ぬことの意味すら知らない。裏返せば、生きている、或いは生きるという意味が、現代人は本当にわかっていないのではないだろうかと、最近よく考えるようになった。

Shinpei Eto

神のいなくなったロシア(巌野)

●カラマーゾフの兄弟には続編が予定されていたようです。本編最後に書かれた三男の修道僧アリョーシャが語る、悪い人間になるかもしれない、という一言がその可能性を示唆しているといえます。神さえいなければというドストエフスキーのコンセプトから考えて、宗教上の父親であるロシア皇帝に刃を向けていく内容なのではないかとよく考えたものです。
●実際にはドストエフスキー自身が病没することで、この続編は出版されませんでしたが、多くの研究家にとって、その続編の内容は、永遠に尽きない興味の対象であり続けています。神がいなければという一言は、神がいなくなった後の世界は、どのような世界と歴史を生み出すのか、という意味でも、個人的に大変関心を持っているいるテーマなのです。
●いま世界の神はどこにいるのでしょうか。宗教はお互いに寛容になり相対的な存在になりました。言い換えれば絶対性を喪失したということです。絶対に正しいことも存在しないし、間違いもない。いろんな神様がいるからそれでいいではないかという人もいますが、果たしてそれで人々は納得しているのでしょうか。
●人間は絶対的なものを求めます。夫婦愛、家族愛などは、りんごやみかんの議論のように、他のもので代替できません。そういうものを人は求めています。ですから、圧倒的に相対化された社会、神すらも選択可能な時代に生きている人々は、絶対的な幸福感を否定された存在になっているような気がしてなりません。ある意味で非常に不幸な時代になっているのでしょう。
●ドストエフスキーの時代に死ぬと予言された神様は、その後実際にロマノフ王朝の消滅とともに死にました。しかし、ソビエト連邦の消滅とともに、表面上は再び神は復活したように見えました。でも実際には、グローバル経済の海に投げ出されて、絶対的なのは資本主義経済の競争に負けた国や地域が、とことん世界で敗者の苦痛を味わうことだけでした・・・。ウクライナに在住するロシア系の婦人がある日そんなことを語っていたのを、わたしはわすれません。神のいなくなったロシアでは、専制君主こそが絶対性を持っていると映っているのだと思います。

死は絶対ではなくただの通過点ではないか(巌野)

●現代は自殺を悪だとしている。決して間違いではない。しかし反面その矛盾に社会はもだえている。戦国時代から江戸時代に掛けて切腹という儀式が存在した。歴史的な儀式であるから現代の常識だけで裁くものではないと考えてきた。昨今そこそこの年齢になってみても、やはり自殺を一面的に悪だと決め付けることにはなにやら違和感がある。
●近代になって日本では、明治天皇の崩御に伴う殉死の問題や、森鴎外が高瀬舟で描いた安楽死の問題がと取り上げられてきた。いずれもよいとか悪いとか言う基準で判断はできないものだと、個人的に感じた問題だった。まじめに考えてみると、社会全体で死ということを絶対視しすぎているのではないかと感じることが多くなった。ある種のやむにやまれぬ事情というものが社会に存在する以上、存命し続ける苦痛や悔悟を絶つ手段を悪だと決め付けるのは行き過ぎた議論ではないだろうか。
●特に古代のチベットやエジプトの死者の書などを読んでいると、死後の人間がすごす時間のことについて多くの記述があるから、むしろ死自体がひとつの出発であると考えるようになった。各国の宗教などはこの死後の旅の途中で閻魔大王を登場させてみたり、天国と地獄をつくり上げたりと、生きていた時間の総括が行われると定義しようとしているが、こうした定義はキリスト教ならローマ帝国の国教となって以後、仏教なら仏像を作ったりして宗教団体の色がつき始めて以後のことだろうと思う。善悪の基準を持つようになったのは、個々人をマクロに統制しようとする世俗権力の利益にかなっていたからだ。故に本来あの世と呼ばれる旅が存在するならば、淡々と続く一本の道になっているはずだと、私は思うようになった。要するに死は絶対ではなく、ある種の通過点に過ぎない、また死を恐れる必要もないし、生と死に無関係にただ自分の志を貫けばよいではないか、まあそんなことを考えるようになった。
●従って死そのものは所詮けじめのつけ方ではないかと思うようになった。だから病死がよくて、自殺が悪いという言い方は論理的に妙である。病気の痛みを知らない人間が無理に延命をすすめるのも失礼であるし、自ら苦痛から解放されようとすることをとがめることは不躾である。
●私は数多くの自殺事案に遭遇してきた。いずれも非常に悲しみに満ちていた。しかし本当に故人の事情を深く知る私の中には、その人たちが新たな旅に出る準備をしたのだと考えたい。そこに妙な価値観を持ち出してほしくないし、ましてや宗教団体の一部のように自殺者は墓に埋葬しないなどという愚行もしてほしくない。彼らはわれわれ生きている人間たちよりも、少々早く、自分の意思で旅立っただけなのだ・・・。多くの社会的な倫理観に反するかもしれないが、多くの愛すべき人々の死を私はいつも尊重したいと考えている。

幸福と不幸、その絶対感覚の相違を考える(浦崎)

●数年前に結婚した知人と一ヶ月ほど前に食事をしていたところ、彼女の口から離婚したという報告を受けました。同じく数年前結婚式の案内状を受け取った時、彼女は大好きな彼との結婚を夢見る幸福絶頂の中にありました。皮肉に聞こえてはいけないので彼女にはいいませんでしたが、あのときの幸福感と現在はどのように違い、何をもって証明できるのだろうかとふと考え込んでしまいました。
●時にデジタル思考の私からすると、幸福感は所詮喪失したあとに感じるものではないかと考えてしまいます。株式相場の最高値に例えれば簡単です。株価が最高値を更新し続けていく中であったとして、いつが下りの始まりかということを、ギャンブル好きの男性陣は考えます。一年のうちでどこかが最高値なのかということです。専門用語で移動平均線との乖離率やらRSIといった相対指数で説明しようとしている向きもありますが、所詮統計上の妥当性の話です。多くの人は結局のところ、最高値を更新できず、毎度安値を更新し続けるなかで、あああそこが最高値だったのかと思うというにすぎません。、要するに下り坂になって初めて最高を知る、ということなのです。
●不幸という感覚も同様でしょう。絶対不幸という水準があるわけでもなく、生まれてこの方スラム街にすみ続けた少年が、ある日一枚のチョコレートを口にした瞬間、類まれな幸福感を味わうはずです。どんどん上昇していく水準が続くと、人はあああそこが最悪期だったのかと思うのでしょうが、最悪期というものも豊かさを獲得していった人間だからこそ知覚できるものです。人間はわかりにくく、わがままな存在であるというわけです。
●だから正確に言って、長寿社会になったからといって社会全体が幸福になっているわけではないというわけです。すでに最低限の生きる権利が保障されえいる現代では、すべてが下り坂に見えてしまうのです。比較する対象をいっそのこと、江戸時代や戦国時代にでも変えてみたら何と幸せな社会なのかということになるはずなのですが・・・。
●かくいう意味で、私は昨今絶対感覚のようなものに関心をもつようになりました。最低限何が満たされていれば自分が幸福感を感じられるのかということです。世の中一般的にとか、他人がどうかとかいうことは、この際一切関係ありません。明日死んで何も悔いがなく、ただいまの一瞬が満ち足りている、そういう感覚です。このことについては数多くの国で、或いは宗教家たちが研究してきたことなのでしょうが、先人たちの知恵に接する以上に、自分自身に問いかけております。喪失して不幸と思わず、獲得すればすべてが幸福に満ちている。それ以上でもなくそれ以下でもない。そこがどこにあるのかということが自覚できれば、不幸など存在しないのです。
●話を元にもどしましょう。件の女性ですが、先週再び会う機会がありました。横にはイケメンの若々しい男性が陪席していたので、人違いかと思って通り過ぎてしまうところでした。不幸のどん底にあると聞いてすっかり同情していた私からすると、知人のスピードは想像を超えるものでした。あれこれ考えるより先にどんどんシュートを放つその姿勢は、サッカーに例えれば完全に欧州式でありました。だめだったら次、その次と打たれづよく蹴り込むというわけです。”どこまでいけるかわかんないけど、いけるとこまでいくわよ”という彼女の言葉も、またなんともいえず心強く、理屈を捏ね回してしまう私などよりも、はるかに面白い人生なのだろうなあと思います。とはいえ、下り坂に入ってしまったときのどうしようもないたるせなさの渦中で、私のつまらない屁理屈も多少は慰めになるようで、男女の違いがあるにも関わらず、この女性とは二十年近く友人であります。世に言う人間の煩悩を日々続けて、今なおコミカルにせっせと生きるその姿も、何だか人間らしくてよいもののように、私には思えます。

筆をとる人のココロ(巌野)

●人が文章を書こうと思うとき、相手は不特定の人々ではないでしょう。恋人や家族、親友に向けた気持ちを素直に伝えたい時に違いありません。ああもいいたい、こうもいいたいと、悶々とするうちにふとペンを取る。鉛筆よりはボールペン、ボールペンよりは万年筆のほうがなぜか都合がいい。できれば豆からコーヒーをいって、一杯口にしてから文章を綴る。私にとって今晩はそんなたくさんの夜のひとつです。
●心を遮蔽している人がいます。なぜでしょう。理由はわかりません。何か大きな傷があるのでしょう。社会との接点において、或いは恋人や友人たちとの間において・・・。普段とおりなら明朗なその人は、その傷口の付近に接近すると激しく拒絶反応を見せます。それは突然で突拍子もない出来事でした。驚きと同時に私にはその傷が心の中に深く根を張っていることをなんとなく理解したのです。
●そんな傷は私の中にあるのだろうかとふと考えてみました。意識しているところと、していないところの双方で、私にも人並みに傷らしきものがあるような気がしてきます。少年時代の劣等感、学生時代の失恋の記憶。まあいろいろあります。突発的に着火しないにしても、そこを踏まれると痛いなあと思います。できの悪い自分を自分なりに咀嚼できない苛立たしさ、そんなものがあります。
●人間というものは難しいものです。第三者のことには無関心になったり、忘却したりすることが簡単にできるにも関わらず、自分の痛みの記憶というのは忘れません・・・。さてそれをどう扱うべきなのでしょう。拭いきれないにしても、持病のように飼いならしてみるというのも一興です。コメディータッチの脚本に仕上げて腹を抱えて笑うというのがいい。人の死ですら落語家は小話にできる、笑いに涙が入ってもいい。泣き笑いは人間にとって深遠な回復システムの役割を担っている。永遠に悲しみに終わる物語以上に、踏み超えていく人間の源にこの笑いがあるといってもいいでしょう。
●先般久しぶりに落語をみました。酒におぼれる息子を正すために、酒を絶つ父親の有名な小話。息子に断酒を迫っておきながら、飲みたくてたまらなくなった父親は熱燗に一杯、また一杯と手をつける。すっかり酩酊してしまったところに、息子が帰ってくる。挨拶にやってきた息子の顔は酒ですっかり赤ら顔。親子ともに断酒ができなかったという、面白くも悲しくもある話。悲劇的に眺めてみることもできるが、そんな欲望のとりこになってしまう人間のかわいらしい情けなさというものが、どうしようもなく可笑しい。その姿は自分自身でもあり、市井に生きる人々の普通の姿でもあるでしょう。
●傷を眺めて、泣いて、笑って、帰り道にふと空を眺める。ああ今日もいい夕焼けだなあと思う・・・。いやあおれも出来が悪い性分に生まれちまったな~と、すっかり噺家のしゃべり口がうつったように江戸っ子言葉が頭の中に浮かんできます。何かが解決されたわけではないけど、痛々しい何かとだましだまし付き合っている自分にふと落ち着きを覚えたりします。
●話をもとに戻しましょう。心を閉ざしてしまっているその人にはもう会う機会はないかもしれません。人間関係というのは、時に容易なことではないからです。直接話をすることが憚れる場合、私は文章を書きます。誰かに読んでもらおうとは思っていないけれど、ポンペイの落書きのように千年後の誰かが読むかもしれない・・・。そのくらいの楽な気持ちで、時々ブラックを飲みながら綴ります。どこか遠いところにいる人の、こころの傷口に匂いのように届いて、何かの救いになるといいなと思います。寒い東京のマンションの一室からは、東京タワーの灯りが見えて、目に見えない人の気持ちもどこかに送り届けてくれそうな気がします。

あなたの人生は平岡常次郎でよいのか(木羅)

●漱石の小説”それから”の中に、二人の特徴的な人物が登場します。一人は主人公の代助、もう一人は代助が略奪する妻の夫、平岡常次郎です。初めてこの本に遭遇して以来、私の中にはこの代助のようなわたくしであり続けるのか、常次郎のように勃興したての資本主義社会の先兵として歪んだ経済人となるのか、ということを考えてきました。結論から言えば、”非現実的といえども代助の方がマシ”という何とも積極的ではない結論が、社会人になって何年目かを迎えた時の答えでした。
●実際に社会に出てみて感じるのは、如何に平岡常次郎のような人物が多いかということです。小説の中に登場する常次郎は、就職した銀行で横領の罪を問われ失職。その後新聞社に勤務し始めるも、社会の悪しき何かに影響を受けるように、性格に歪みを生じていく、という運命をたどっていきます。社会の中に生きていれば、金槌で頭を殴られるようなことが時に生じるのはやむを得ないことです。ポイントはこの不幸な出来事を通じて、自分自身も歪曲していく常次郎の姿です。そこまで自分を卑しい存在にしていかなければいけないのかということなのです。
●代助と常次郎の生きた時代は、維新からほどない明治・大正の時代です。武士階級の時代が終わり、四民平等を背景にしたガツガツした資本主義社会が始まるのです。しかしその資本主義社会というものたるや、生き馬の目を抜くような世界で、高邁な思想の実現を夢見ていた青年たちの夢はいとも簡単に敗れ去ったことでしょう。常次郎の姿というのはそうした社会の生み出したものといえるのではないでしょうか。
●しかし明治・大正という時代と現在はどれほど違いがあるのでしょうか。表面的には違っているように見えて、常次郎のような人物を生み出すという意味で、寸分違いがいない。それが私の社会に対する印象でした。俗に没することなく、一時的にわたくしであるにせよ、常次郎となるのだけはやめよう。そう思った私は、未だにこの作品を読み、かろうじて常次郎ではないということだけを確認しております。

死出の準備を考える(巌野)

●人間世界について完全に平等なことがある。死という動かしがたい事実である。金持ちも、老若男女を問わず訪れるから平等といえば平等である。お金持ちだから特等席があるわけではない。逆に貧しいからといって二等席になるというものでもない。この点古代王朝の王たちはおもしろい。死後の生活の安寧を願い、ピラミッドを作ったり、死後の世界で使用する副葬品を念入りに準備したりする。そういう準備が果たして効果を発揮するのかしないのか、現在の時間を生きている人間にはわからない。ひょっとすると何かの役に立っているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
●半年ほど前のこと、近所の一人暮らしの老人がなくなった。なくなった老人とは早朝の散歩でよく挨拶を交わしていた人だ。矍鑠とした足取りの人だったから、突然葬式の案内が家の前に出たときは正直驚いた。資産家だとは思っていたが、豪華な葬式とあふれんばかりの人の群れを見て、ふと故人の言葉を思い出した。ある日の早朝足をくじいて道路沿いのベンチに座っている老人の姿を認めたので、肩を貸した時のことだ。”ありがとう・・・。私も一生懸命に生きてきましたが、結局見ず知らずの人に助けられる運命なんですね・・・。”その老人は言った。”人が大勢やってくるのはきっと葬式の時だろうと思うんです。今考えてみるとあまり意味のない資産を作ってしまいましたからね・・・。葬式の時にやってくる人というのはそういうものに興味のある人ばかりですよ、きっと・・・。”
●老人の言っている言葉が正しいとすれば、目の前にいる人だかりというのは、そういう資産処分の恩恵に何らかの興味を抱く人々なのだろうと思った。老人が一人住んでいた古い大きな家はその後取り壊され、鉄筋コンクリートの建物に替わった。老人が生きていた証はこの街にはなくなった。あるとすれば修善寺にあるというお墓のみだろう。そう考えているうちに私は故人の別の言葉を思い出した。たまたま暑い夏の盛りのことだ。営業活動の後、疲労困憊して駅からの帰路を急ぐ道すがら、私は老人の家の前を通りかかった。大きな庭の隅で老人が手に持った書類を火にくべている光景が、門柱越しに見えた。”危ないですよ”と声をかけると老人は大丈夫だといった。”一つ一つ改めて読んで、読み終わったから整理しているんですよ・・・。”と老人はいう。”私なんかたいして良いこともしなかった割に、いろんな人を傷つけてしまいましてね・・・。これは後悔でもあり、まあ懺悔というか・・・。死ぬ前にすべてをまとめて反省しておきたいと思いましてね。まあ死ぬ準備みたいなものですよ。いつくるかわかりませんし・・・”。
●私はシャワーを浴びた後ビールを一本のみながら、その晩考えた。資産家の老人の現役時代の活躍と、本人が意図したかどうかはわからないが、結果的に多くの人々が傷つけたこと・・・。しかし老人のみでなく私を含め普通の人々も同じ過ちを犯してしまうものだということを・・・。不思議なのは老人は死が迫っていると自覚してから、その準備としてひとつひとつ総括している姿だった。何か宗教的な意味でもあるのかとその時は思ったが、老人の葬式はごくごく一般的なもので、特筆すべきものはなかった。老人のいう”準備”という言葉はそういう意味で非常に気になる言葉であった。
●2週間ほど前、私はとある事情で三島を訪れた。現地に工場を持つ会社と面談の約束があったのだ。午前中に都合を済ませた私はふと思いついて、修善寺の老人の墓を訪ねることにした。電車で数十分、タクシーで数十分もかかる場所に老人の墓所はあった。寺の住職に話をしてから墓の前にたった時、私には何かが理解できたような気がした。墓には戒名もなく、もちろん欧米式の墓碑銘もなく、また名前自体もなかった。墓自体も小さな小さな石が一つきりで、隣の大きな墓の付属品のような存在であった。隣の墓には、昭和の年代の刻印で女性の名前が書かれていた。老人の姓とはなんら無関係な名前であった。なぜその墓が豪奢で、資産家の老人の墓が小さく寄り添うように立てられなければならなかったのか私にはわからない。ただ老人のいう罪と死出の準備という言葉には、この不思議な墓の存在を裏付けてくれる何かがあるのは、私にもわかった。ゴルフの用事でもない限りやってくることのない修善寺のこの場所に、私は何故かまた来たいとおもった。