肉筆浮世絵の世界(浦崎)

●昨年の後半から、戦前に起きた贋作事件(春峯庵事件)で世に出た肉筆浮世絵について少々時間をかけて調べている。世間の権威ある鑑定というものが如何にいい加減かを明らかにした事案で、戦後の永仁の壺事件と同質のものである。

●相違するのは、永仁の壺事件では贋作元である加藤藤九郎が事件後その巧みさを評価されて陶芸界の大御所に昇格していったのに対し、戦前の春峯庵事件では、贋作グループの中で特に高い能力を認められた矢田金満という青年が事後夭折してしまった点にある。存命であったなら、天才絵師として戦中・戦後に活躍した可能性もあるが、残念ながら18歳という若年で世を去ったため、その作品は国内外に流出してしまった模様である。作品の多くは行方不明という風の噂を聞くのみである。再び世に出れば、再評価されること間違いないだろう。

●話は多少脱線するが、五年ほど前に歌麿の傑作肉筆浮世絵・雪月花のうち、「深川の雪」が、1948年に銀座松坂屋での展覧会以降、六十数年ぶりに発見された。とある古美術商の手元にあったものが岡田美術館に売却されたところで世間の知るところとなったが、某古美術商がどこなのか、またなぜ多年にわたって姿を消していたのかは今もって不明である。

●肉筆浮世絵の特性として、オークション以上に相対取引でコレクターなどの手にわたるケースが多いからなのかもしれないが、真贋の不明な浮世絵作品が、様々な人の目論見によって、朽ちかけた土蔵や押し入れ、屋根裏などで密かに眠り続けているのが実態なのだろう。

●戦前の春峯庵事件で名をはせた無名の青年、矢田金満作と思われる作品も、同様のルートやロケーションで、どこかの国の誰かの手によって保管され続けていると思われるが、当方の生きているうちに目にしてみたいものである。

深川の雪(歌麿)

リンゴとセザンヌ(浦崎)

●リンゴを眺めるとセザンヌのことを思わずにはいられない。パリにも印象派にも、どうにもなじめなかったこの作家が、実家のあるエクス・アン・プロバンスで、晩年まで只管描き続けたものだ。

●若い頃この作家を特に気にも留めなかった。ほかの作家と異なり、晩年までひきこもりのように暮らし、初めての個展を開いたのが50歳手前という何とも遅咲きのキャリアも手伝って、何かと激しい有為転変を期待する若造の私には迫ってくるものがなかったということだろう。

●それが最近、年齢のせいだろうか、ふと道端の草木に目がふと留まることが多くなった(さる日本の古書によればそういう気質的な変化は、武人なら死期が近いということになるらしいのだが・・・)。

●そんな私には、スーパーの店頭に並ぶリンゴが最近何故か輝いて見えるようになった。食べるわけでもないのに、買ってきて部屋の中に飾ってみる。まるで梶井基次郎の檸檬のような光景だが、私の中に印象が芽生えるのはセザンヌのことだ。

●静物ばかり描いたこの人物の目に入ったものが、このみずみずしい果物の何とも魅力的な姿かたちだったのだろうと思うと、食欲も忘れてしげしげとリンゴを眺めてしまう・・・。今頃になってセザンヌに共感を抱く自分にただ驚くばかりである。

バーゼルでハンス・ホルバインをみる(浦崎)

●ルネサンス期ドイツの画家にハンス・ホルバインという人がいる。アウグスブルグやロンドンで活躍した肖像画家だ。かつてロンドンのナショナルギャラリーやルーブルでその作品にお目にかかったことがある。
●肖像画家という分類で整理されるだけに、その作品群はエラスムスやクロムウェルといった歴史上でも著名な人物たちの作品で埋め尽くされている。作者の名前よりも描かれている人物たちのほうが有名なので、得てして肖像画家の名前は忘れられる宿命にある。
●かくいう私も最近バーゼルで彼の一枚の作品と遭遇するまでは、その名前を記憶するほどの印象を持たなかった。英仏にある彼の作品は殆どが退屈な肖像画だがバーゼル美術館にある、「墓の中で死せるキリスト(The body of the dead Christ in the tomb)」は些か趣を異にする。
●聖書にあるキリストの復活をテーマにしているように見えるが、描きこまれたキリストの姿は棺に押し込められてとても復活できるようには見えない。狭い棺の中で呼吸すら覚束ない苦悶に満ちた表情である。まるで復活そのものを不可能と断言するようにも見える・・・。
●肖像画家らしからぬこの作品を通じて、ホルバインは現実世界の中で窒息死目前の状況にある自分を描こうとしとしていたのだろう。復活という物語は理解しつつも、現実は容赦なく過酷でキリストでさえ苦しみながら棺の中で息絶えたのだと、この作家が叫んでいるように思える。専門の研究家ではないが、そのことは理解できる・・・。
●かつてドストエフスキーがこのホルバインの絵をみて、罪と罰に登場するラスコリニコフの印象を形作っていったという逸話があるらしいが、個人的にもサンクトペテルブルグにあるドストエフスキー自身の住んだ家にも同質の匂いを感じる。
●昨今欧州・米国を含め世界的レベルで広がる格差拡大と、困窮を極める低所得者層の問題は、まるでホルバインやドストエフスキーの描いた、目をそむけたくなる現実のようにも見える。かつて階級闘争を経て勝ち取った政治と経済の体制なのかもしれないが、再び特権階級が生まれ、社会の不安定化を招いているように思えてならない・・・。簡単に復活を唱えるのは、富の分配に預かった人々だけなのかもしれない・・・。ホルバインの絵をみたあとパリに向かい、宿泊先の部屋でマクロンの演説を聞いている私の中にはそんな印象が強く残った。

柳田国男にのめり込む(浦崎)

●柳田国男が面白い。遠野物語に限らず著作に一貫する伝聞調査のプロセスがいい。なんといってもその収集した逸話の一つ一つが新鮮で、年末年始にふとのめりこんでしまった。
●柳田の収集する話は歌舞伎や草子もの、あるいは明治期以降の欧米型価値観に起因するサクセスストーリのような色合いがない。型にハマったものばかりテレビやyoutubeで流れている現代において、その内容はいたって新鮮で、味覚の錆を落とすには申し分のない内容だった。
●米国では政府機関が閉鎖され、英国ではブレグジットに関する国会討論が意味もなく続いていたから、世界は膠着状態にあるようだが、こういうときには下手にビジネスやマーケットにのめりこむ気もしないから、益々柳田の本にのめりこむことになった・・・。ふと気が付けばもう1月末である。
●2019年がどういう年になるのかは誰にもわからない。昨年後半ぐらいから世の中はこういう風に循環していくとか、遷移していくというトレンドが消滅し、ノイズのような政治的駆け引きだけが世界を駆け巡る状況になった。人も国家もむき出しの自己主張を唱え、友人や隣人を思いやる小さな人の良心をこばかにするような風潮が強まりつつあると、ふと感じるようになった。
●昔学校で勉強した世界政治と経済の古き良き物語は一旦終わるのだろうとふと考える。逆回転というよりも一旦終わるということだ。そんな直観めいた確信があるから、やはり柳田の著作に目がいく。一人一人の生々しい生き様や、艱難辛苦に耐えて尚ほの見える小さな人間のこころの有り様は、ひょっとしてこれからの時代の自分の姿かもしれぬ、そんな気がしてならないのだ・・・。

SNSの乗っ取りに遭遇する(浦崎)

●世間でいうSNSの乗っ取りに遭遇した。いつの間にか端末からログインできなくなり、パスワードが変更されているといった事態だ。SNS上で乗っ取られたIDが友人諸氏に迷惑をかけても困るから、運営元の会社に連絡してアカウントを削除してもらった。
●周囲によれば結構なことだから大騒ぎしてもおかしくないことらしいが、それよりも誰からも連絡がこない静けさがなかなか悪くないと思った。もともと週末は手ぶらで散歩や読書を愉しむ生活をしていたから、何やら懐かしい気持ちになった。
●散歩ついでに東海道線で横浜までいき相鉄線で神奈川の実家に久々に帰ってみた。最近ご無沙汰だったなと思って両親の話を聞いてみる。たわいもない話ばかりだが意外に悪くない。年輪を重ねると結構な味わいが出ることもあるものだ。
●SNSに限らずインターネット上にある情報は、世間を不安に陥れたり、存在するのかしないのかわからないような欲望をかきたてるものばかりだ。人間が必要としているこうした断片的な情報は得てして極論で殆ど虚構に近いから、結局のところ情報そのものが必要のないものだった思うことのほうが多い。
●人間関係についても似たり寄ったりだ。根本的に浅い関係が広く網の目状に広がっているばかりで、その癖お互いに深い親近感や同質性を味わうといったことは殆どない。知らない人は所詮知らない人なのに、お互いに知ったかぶりをするからややこしい。数万人と関係がありますといったところで、そういうものを友人と定義するのは間違いだろう・・・。
●東京への帰路、師走の横浜の街をそんなことを考えながらふとそぞろ歩いてみた。歩きスマホする人の群ればかりだが、IT機器が普及すればするほど、劣化していく情報や、希薄化していく人間関係の中で、逆に人は間違いなく思考回路が単純化し、自己中心的な孤独の海に沈んでいくのかもしれないと、ふと考えてしまった次第である。

江戸を南から北へ(浦崎)

●知人のキックボクシングの試合があったので泉岳寺から後楽園ホールまで歩いて行ってみた。先週夏物のメッシュ・キャップを買ってあったので、泉岳寺から三田を抜けて新橋、日比谷公園から一橋といった具合に、炎天下の都内をひたすら歩いた。危険な気候だと盛んにニュースで言ってはいるが、昔歩いたバンコクやホーチミン、アレキサンドリア等に比べればまだまだ何とか歩ける。かなり気持ちのいい一日だった。
●片道10キロ程度だが車で通過すると見落としてしまういろいろなことに気が付いてなかなか面白い。そもそも自分の家のすぐ先に荻生徂徠の墓があることに気が付いたのも今回が初めてである。著名な赤穂事件の処理において、武士としての情と法治の論理を峻別してみせた手腕は、怜悧すぎて江戸の町人文化の中では今一つ人気が出なかったのだろう。四十七士に比べると、墓は駐車場の隅に位置しており、ひどく質素な扱いであるように思える。
●歩いていて気が付いたもう一つのことは、桜田門外の変で有村次左衛門が深手を負いながら井伊直弼の首を引きづって歩いたといわれる距離だ。桜田門から近江三上藩邸(現三菱一号館美術館)まで歩いてみたが、約一キロあり、直弼の生首が10kgほどもあったとすると、現代なら米屋でも車で運ぶだろう。それを彦根藩士の一撃による深手をおったまま、雪の中を運んだのだから治左衛門もなかなかのつわものだったに違いない。実際歩いてみないとわからないことだ・・・。
●さて皇居を抜け湯島天神近辺から水道橋を経て目的地に着いたのは夕刻五時。知人の試合は6時からはじまりあっという間にKO勝ち。随分時間をかけてやってきたのだが、そそくさと帰路につき、同じ道を再び泉岳寺方面に向かった・・・。合計約20キロの工程だが、オリンピック準備のためか、道も整備されてきており、ロンドンなどと比べてもちょっと悪くない雰囲気になってきたように思う。

一切を所有せず(浦崎)

●断捨離やミニマリストといった言葉がかなり普及している。実際生活をしている人間として非常に納得ができる部分が多々あるから、春先からかなりの時間をかけて、身の回り品からクルマ・不動産などに至るまで一斉に資産の処分に動いている。
●クルマは現在居住している泉岳寺付近なら、常時使用できるカーシェアの車両が結構な台数あり、高額な駐車場代や自動車税から解放されることになった。北米の中西部に住んでいるわけでもないのに車を所有しなければいけないと思い込んでいたのかもしれない。
●身の回り品で厄介だったのは書籍類である。一度読んだだけでいつかまたひも解くこともあるだろうということで所有し続けた結果、春先までで3000冊以上の点数の本が本棚にあった。このうちもう一度読もうと思うものは業者に頼んで電子化し、90パーセント以上は売却した。昔の文学者や大学教授にあたりが生きていれば本を売るとは何事かと怒られるところだが、一般書籍であれ専門の希少本であれ、世の中に流通していろいろな人に読んでもらう方がいいと今は思う・・・。
●普通の人ならその辺までだろう。しかし私の場合続きがある。若いころから預かっている美術作品が家一棟、倉庫一棟分あったのだ・・・。未練は多少残るが4トントラックに積載できるだけ積み、茶碗など数点のみ残して全て処分した。収蔵・保管をしていた不動産は固定資産税まで負担して郊外に所有していたものだが、これも現在空き家となり、処分手続きの途中である。
●首都高の湾岸線を何往復もした。ハンドルを握りながらふと思い出したのはサルトルのことである。ノーベル文学賞を辞退し、賞金も受け取らず、莫大な印税も難民に寄付してしまうサルトルは終生小さな部屋に住み、遺産も殆どなかったということだ。蓄財や所有・相続などに血道をあげる生臭さはそこにはない。生活にかかるもの以外一切を所有しない清々しさは、仏教国の人間だけでなく、はるか遠いパリや世界にもあるということだ。後世に残すべきものは資産などではない。

ルーマニア系アメリカ人に錦絵を見せられる(浦崎)

●つい最近ルーマニア系アメリカ人の家系図を見る機会があった。興味深いのは、アメリカの場合、入国記録や国籍取得に関する記録が一定範囲公開されているから、該当する人物の最初のアメリカ人(つまり最初に欧州などからアメリカ合衆国に入国した人物)を調査することは比較的簡単であるということだ。
欧州やユーラシア大陸からの移民記録は、1800年代から非常にきちんと管理されているから、その最初のアメリカ人の筆跡や宗教、生まれた村の場所も含めて詳細に調べることができる。
●調査そのものを行っているのは私の友人のアメリカ人である。早期引退を若い頃から目指していた彼は、そこそこ成長させた自分を会社を売り、非常に特徴的で数少ない氏族である自分の家系を調べ始めたということだ。但し簡単に調べられたのはアメリカ国内までのことで、そこから先が大変だった。ブカレストの情報は、チャウシェスク時代或いはその前の第二次大戦時に結構な割合が紛失してしまい、公文書の追跡調査は難しい。従ってキリスト教会の洗礼記録などを調査することになるが、こちらも資本主義国とは異なり、宗教そのものがアヘンに等しいとみなされた暗黒時代があるから、困難を極めたということだ。
●そうした数年にわたる血のにじむような執拗さで調査された家系図をもって、彼は何故か日本に来た。東京で暇な時間を送っている私に一体何の用かと思ったのだが、四谷のホテルのロビーで彼が念入りに調べ上げた家系図と調査資料を見て理由が分かった。ブカレストから始まった彼の調査は、チェコからドイツ、オランダにおよび、ついに江戸時代の出島にたどり着いたのだ。
●鎖国していたとはいえ、江戸時代には世界に向けて長崎に小さな穴が開いていたのは事実である。非常に小さな穴だが、そこを彼の祖先がするりと抜けてやってきていた記録があるという。面白いというほかない。同じような例は、当時の幕府から国禁を犯した罪で強制送還されたシーボルトのものくらいしか私は知らない。どれだけ国を意図的に閉鎖しようとしても閉鎖しきれないものだという彼の言葉は、なぜか大きく胸に響いた。
●アメリカはトランプの時代になって、移民希望者たちにとって、時は、あたかも鎖国前夜に近い。アメリカは現代のローマ帝国として二百年近く、世界の移民を受け入れてきた。故郷を捨てるという決断は、かつての欧州系移民も現代の移民も等しく過酷なことだ。その過酷さを超越しても移民したいという人々の希望が損なわれるというのはどういうことなのろうねという彼の言葉が、心のどこかに響いた・・・。
●一晩飲み明かした後、彼はあわただしく羽田からサンフランシスコへ戻った。私は彼からもらった一枚の錦絵の写真を眺めながら、多摩方面に車を飛ばしていた。バスケットボールの練習に参加したあと向かった先は、浮世絵に詳しい知人の家だ。一体いつの時代に属していて、誰の筆によるものなかのかということに心は踊った。しかし現代のアメリカ合衆国の様が、ローマ帝国やオランダ、江戸幕府の末期に重なっても思えてきて、帰りの車の中で少々複雑で感傷的な気分にもなった・・・。

當麻曼荼羅を眺める(浦崎)

●話は多少前後する。先週出張で関西に行った際、大阪方面から奈良へ向かう途上、多少時間があったので、當麻寺に立ち寄った。その昔仲の良かった知人からこの寺で曼荼羅を眺める贅沢な時間を聞いて、そのうちこようと決めていたのだ。
●大阪から一時間弱で、まだ晴天が除く田園地帯を進み、付近の道の駅に車を停め、遊歩道沿いに當麻寺を目指し、二十分程歩いた。曼荼羅を見に来たのだが、二上山の小高い場所から見下ろす大和盆地の眺めにすっかりこころを射抜かれてしまった・・・。平日で人影は疎らであったから、寺の本堂へ向かうまで通り過ぎたのは年配のご婦人一名で、誠に贅沢な散歩だった。
●寺の本堂にはやはり曼荼羅があった。その前には畳が三枚ほど敷かれている。要するに座れということだ。状況からすると禅僧が道行く人に、まあ座りなさい、ということと同じだ。宗派などこの際どうでもよいことだが、座して空を見るというのは、心地よいものだ。考えているわけでもなく、寝ているわけでもない。ただ曼荼羅を眺めて呼吸をしている。雑念もない。従って1時間以上も胡坐をかいてまどろんでしまった。できればバンコクの寝仏のように横臥したいところだが、この点日本の仏教界は小うるさくてかなわない。
●少々脱線するが、チベットやタイの寺院に出かけると、お勤め中の僧侶の横臥・放屁・放便などは日常茶飯事である。高僧になればなるほど、用を足しにいったりしない。掃除の小僧がちゃんといて、掃除をすることにもなっていて、研究や瞑想の手助けをすることになっている。考え方次第だが、私からみると彼らの姿のほうが自然で、心のどこかで尊敬の念を持ってしまう。私の場合、横臥まではいけるがそれ以上は、日本の教育のせいで実行しようとしてもとてもできないのだ・・・。
●その晩奈良に住んでいる旧友のもとを訪ねた。息子殿が有名高校を経て京大に進み今は4回生だということだ。知人も奥さんも慶応だから、さもありなんと映るのだが、親としての喜びに満ちていて、知り合いの一人でしかない私まで、非常に幸せな気分になった。
●人の世は不幸なことばかりではない。曼荼羅が書かれた7世紀の當麻寺もしかりだ。思いがけない幸せがやってくることもある。ずっと辛いと思う時間ばかりが流れているようにも見えるけれども、そんなときは當麻寺で曼荼羅を眺めればいい。人が希求する極楽浄土が丁寧に描きこまれている様をみて、つまらない不幸せは忘れてしまえばいい・・・。そんなことを考えながら、結構な酒量を呑み、千鳥足で宿へ帰った。

嵐の中を走る(浦崎)

●三連休は台風のまま終わる可能性が高そうだ。しとしと降る雨とは違う。風が巻きながら突然突き上げてくる・・・。以前からイングランドのヨークシャーを舞台にした小説・嵐が丘に登場する荒れ野を頭に思い浮かべてなかなかピンとこなかったとき、台風が吹き荒れる日本の9月のような天候なのだろうかと考えてみたことがある。個人的に雨をうたった日本の文学作品は多いけれど、台風や嵐の吹きすさぶ天候をモチーフにした作品は少ないから、ある時から9月になるとエミリー・ブロンテのことを思い出すようになった。個人的には詩的感情がこみあげてくるところがあって、どちらかといえば好みである。
●連休の始まる前の日は奈良にいた。奈良といっても市内ではなく、橿原方面にずっと南に下ったところだ。早めに切り上げることもできず、かなり遅くまで仕事に忙殺されたから、当然の如く深夜になった。しかし付近に宿がないので、飛鳥まで更に足を伸ばして宿をとった。夜になるとこの地域の旅館は、広重の浮世絵のようだ。インバウンドの客もいないし、ただ静謐である。
●翌朝ささやくような雨の音で目覚め、窓から外を眺めると、厚い雲は山々を圧迫しているように見えた。これから嵐が来るのだという予感に満ちている。天候のせいか他に客はいない。ただ一人温泉で老人と同じ湯につかったのみだ。「庭がいいですな」と老人がいうので、眺めると確かに悪くない。晴天なら平凡でつまらないと思っただろうが、無数の雨に打たれる草花の様は水墨画のようだ。
●次第に強くなる雨は何かを示唆しているようだ。過酷な現実、思うにまかせない人のこころ、怒りそして悲しみ。雑多な沈殿物が一斉にあふれて、流れ出してくるように見える。一本道の古道から天理近傍で高速道路に入るころから、更に打ち付ける風雨が強くなった。強くなればなるほど、何故かアクセルを強く踏んだ・・・。三連休の初日はそんな光景から始まった。