ボブ・ディランの文学賞はおかしいという議論があるようだ(巌野)

●私はボブが好きなので、今回のノーベル賞受賞に違和感はない。しかし定義と分類が重要だと思う人は、妙だと思ったようだ。気持ちはわからなくはない。
●しかし違和感というなら、個人的には1953年のウィストン・チャーチルのほうがより強く感じる。文章や演説がよいからといっても、政治家であるから、アーティストには入らないと感じるからだ。文学という定義が崩れるにしても、芸術の一分野という分類が崩れなければいい。私はそう考えている。
●少々脇道へそれるが、ボブについて、私が最初に思ったのは、この際ノーベル賞なんぞ辞退してしまえばいいということだった。 ボブの反戦的なテーマからすれば、爆弾を発明した男が設立した財団から金なんかいらない、というような歌詞が出てきそうだと思ったからだ。いろいろ憶測はあるが、実際のところ、そんなことを考えているうちに、ボブの行方不明報道が出たのではないかとさえ思った。事実は闇の中だが、個人的にはこちらに興味がある。
●そういえば、最近ノーベル賞を辞退する人物がいない。歴史上3人しかいないらしいが、確信犯なのは、サルトルとレ・ドウク・トの二人だけだ。尊敬と親しみにおいて、私の中でサルトルは絶対だから、大好きなボブにも辞退してほしかったというのが、私の偽らざる本音だ。ボブも年を取ったから、反骨精神が消えちゃったかな、とふと寂しく思った。

真田幸村14年間の忍従の地九度山を歩く(巖野)

●関西方面から高野山を目指す途中に九度山という町がある。かつて真田幸村が関ヶ原の合戦ののち蟄居した場所である。金曜日まで中部地方で仕事を終えた私は、名古屋駅から東京に向かうのをやめ、ふと思い立ってこの町へ出かけることにした。偶然キャンセルの発生したレンタカーを借り、カーナビに”高野山”と登録した。九度山へ向かうといっても、私の記憶にあるのは、明治になるまでこの地が高野山領だったということだけだった。
●真田は信濃の小藩の領主であった。武田・上杉・徳川など大藩の緩衝地帯に生き、戦争の都度抜群の状況判断能力と戦術論を以て戦国時代を生き抜いた。幕末まで大名として生き抜いたのは、関ヶ原の戦いで東軍に味方した幸村の兄の家系である。西軍についた幸村と父の昌幸は、中央道を進軍した徳川秀忠の別動隊を上田城に足止めし、局地戦としては勝利を得る。しかし関ヶ原における本戦では東軍が勝ち、結果として敗軍の将となる。九度山というのは、敗軍の将として昌幸・幸村親子が所領を没収されたうえで流されたた場所なのである。
●幸村はここ九度山で14年間蟄居し続ける。大坂冬の陣の起きる1614年までの時間である。元来武家に生きた幸村が領地もなく、戦いの機会もなく、したがって特別な次の展開も期待できない中で、ひそかに生き続けた場所である。三十代後半から四十代の終わりを迎える時間というのは、現代でも仕事盛りの時であるから、当時の幸村がどれだけ力をもてあまし、またいかなる形で人生を全うすべきかということについて煩悶したかは、想像を超えるものだっただろう。私はそんなことをこの九度山に向かう途上で何度も考えていた。
●私自身ある意味で九度山の幸村と同じような時間を過ごしてきたのかもしれない。人生の全うの仕方ということをずっと考えてきたが、日々の生活の中ですべてのエネルギーを費やし、抜け殻のようにして週末の時間を過ごしてきた。戦うべき場所を得られなければ一介の中年に過ぎず、毎年少しづつ老いていく自分に焦燥感を覚えるという具合である。長生きしたいという現代の願望は皆無である。一点において豪奢な己が目標を実現することだけが望みであり、本願である。しかしその時節はなかなか到来しない。そういう時間の繰り返しであった。
●そんな私にも昨今立つべき時がきたような気がし始めた。予感のようなもので、合理的な事象とは異なる。毎晩寝ていても”時節来る”というようなな類の夢を見る。良い意味でも悪い意味でも私の背中を前へ押す、意味不明な力学が作用している。そんな気がするのである。妄想や妄念の類なのかもしれないと疑う前に、私は同じような時間を過ごした真田幸村のことを考えた。彼が考えた時間、決断の理由そのすべてを共有したいと思いついたのだ。
●深夜の道をひたすら走り、私は九度山についた。カーナビに登録した場所は高野山だったはずだが、眠気覚ましに缶コーヒーを購入した自動販売機には九度山の地名を冠したラベルが貼られていたのだ。いざなわれるままに、一睡もせず、終日町を歩いた。お盆の季節に背広姿で何キロも歩き、汗で背中はぐっしょりと濡れた。特別何かが起きたわけではない。しかし、確実に何か啓示があった。私にとって、それは幸村の大坂城に向かうべきということではないが、やはり私向きの冬の陣と夏の陣があるということだ。否定的な意味ではなく、肯定的な趣旨での”死に場所”、命がけでやり遂げるべき場所というのが確実に存在するのである。
●14年間の眠りから覚めて幸村が歩み始めるように、私も連夜の疲れを数時間の睡眠でみたした後、ハンドルを握った。車を返した後、新幹線で東京へ向かう途上で、私は猛烈な空腹感を感じ、弁当とお茶を買った。さてこれから戦だということばが、ふと頭に浮かんだ。窓外の風景はすでに夜で、窓にうっすらと映った自分の顔には、従来とは違う決意が芽生えたように見えた。

マリアン・アンダーソンの黒人霊歌を聴く(巌野)

●ひたすらため息しかでないような疲れを覚えたときには、黒人霊歌を聴きます。特にマリアン・アンダーソン(Marian Anderson)の深き河Deep River)には、非常に癒される部分があります。アフリカ系アメリカ人女性の、何とも包容力があって深い情感のある歌声というものは、まさに彼女のためにこそあるのではと私は思っております。
●アフリカから米国に連れてこられたという極めて過酷な歴史を持つアフリカ系アメリカ人は、日本に生まれて日本でそのまま育った私のような人間には、到底理解できない苦難の時間をすごしたのだと思います。その歴史を本で何冊も読んだことがありますが、結局のところその時代に過酷な時間をすごした人々の痛みというものはわかりえないものでした。ただ彼らがその時代に感じた何かが、黒人霊歌の中に綿々と継承されているということに、ある日気がつきました。
●深き河の冒頭にある”Deep river, my home is over Jordan”という歌詞は、そういう意味で彼らの感情や宗教観が現れていて、現代の日本で私が口ずさんでも、同じようにヨルダンのかなたにある仲間たちのもとへ、或いは福音の宴にいってみたいという気分になります。日々労働でヘトヘトになって、ああもうやだなと思うたびに、口ずさんで不思議な落ち着きを得るのです。
●自分の疲労や悩み、苦痛、そんなものはどうでもよいではないか。懸命に働き、人生を全うすれば、約束の地にいける。そう思えば、苦痛などたいしたことじゃない。私自身そんなことを考えてふと安らぎを得るのです。まだ黒人霊歌を聴いたことがない多くの人には、マリアン・アンダーソンを聴きながら床につく時間をお勧めします。

ローランド・フライスラーの人民法廷のことを想う(巌野)

●民主党が行っている事業仕分けという儀式は誠に奇異でありました。よってたつ評価の観点は、”無駄遣いの抑制”だけで、そこには日本の産業の将来像もなく、夢も希望もありません。意味がないのに継続する趣旨は、昔の自民党と現在の官僚制度への憎悪の感情をこれでもかと示すことであるようです。
●事業仕分けの様子を見ているうちに、私が思い出したのはヒトラー政権下のローランド・フライスラーのことでした。弁護人を一人として置くことなく、被告の言葉をさえぎり、知性のかけらもない敵対的で下品な言葉を浴びせかける。ズボン釣りやベルトの着用もみとめず、大衆の前でみっともない姿を演出する。そういう裁判を行った裁判官のことです。
●西部戦線も東部戦線も行き詰った状況の中であるにもかかわらず、ヒトラー暗殺計画に関わった将軍や関係者を報復的に裁くその姿は、全体主義の一つの行き着く先だと肝に銘じた記憶があります。大衆の低い志に訴えかけるためのプロパガンダとして利用された映像という手段についても、その危険性・暴力性について十分に学習した経緯があります。
●そういう中で今回の事業仕分けというセレモニーを私は眺めています。知性がない仕分け人、知性がないからこそ可能な罵声の数々、そして反論を認めない言葉の応酬。全てが同じ設定、同じコンテキストで歴史が繰り返されていると私は思ったわけです。先ほど御紹介したローランド・フライスクラーだけにとどまらず、文化大革命でその感情的報復を最後まで続けた江青女史など、歴史に残るプロパガンダ映像の全てに共通要素を、この事業仕分けというものにも存在しているのです。

●恐らくそういう歴史的背景だけでなく、自分自身のやっていることというものの本質を、当の国会議員や女性担当大臣はわかっていないでしょう。紅衛兵のように従順で疑うことを知らない青年議員は、濡れ衣を着せられて頭をたれる屈辱を味わったこともなく、ただぶつけようのない憎悪を相手に向けている自分に満足しているだけなのです。
●私が日本人の一人として、また時に頭をたれて自分の罪を悔いる可能性のある一人の人間として、そういう儀式に対して非常に不愉快な気分を感じるのはそういう理由です。人間の根幹にある、良質な感情、前向きで痛みを共感する気品、そういうものを中心にすえて何事も進めていくということが、日常のみでなく、勿論国政レベルでは必要なのだと考えているのです。

何故ネヴィル・チェンバレンはヒトラーに宥和政策で臨んだのか(巌野)

●昨今の日中関係を眺めていてふと思い出すのは、昔日の英国首相ネヴィル・チェンバレンのことです。急速に領土拡張を目指ヒトラーに対してひたすら後手に回り、逆にヒトラー政権に付け入る隙を与えた人です。特に1938年のミュンヘン協定では事実上ヒトラーの姿勢を容認する形になっています。
●これ以上はヒトラーも仕掛けてはこないだろう。そんなことをしたらドイツの国家財政が破綻する云々と、きっとチェンバレンは考えたことでしょう。当時の欧州は第一次世界大戦と世界恐慌で酷く痛んでいたからです。途方もない賠償金を与えられたドイツのみならず、英国自身も国防上の準備ができていないという事情もあり、この立派な英国紳士は品よくヒトラーを諌める役を買って出たわけです。
●後日明らかなになったことから言えば、ヒトラー政権にとって戦争による絶えざる領土拡張そのものが財政規律の維持、経済的建て直しの手段であったということです。異常なまでにナショナリズムをあおるという行動やユダヤ人に対する残虐性だけが一人歩きしていたわけではなかったのです。そういうドイツの事情や、政権存在理由、ヒトラーの特性を”足長おじさん”のように眺めていたこの首相は、やはり極めて鈍感な知性しか持ち合わせていなかったのだろうと思います。
●ミュンヘン会談できっとチェンバレンはヒトラーと会話し、その表情を眺め、真意の所在をいろいろ考えたことでしょう。しかし直接会談して何事かを感知すべきであったその瞬間に、時間稼ぎと自分の思い込みだけを根拠に、柔和な微笑みを与えるだけの結果になったのです。考える以上に感じる知性というものが、やはりこの首相には欠落していたのだと思います。国益とか説明責任、政治主導云々といって、自分自身がその主義主張を貫けないどこかの国の政府は、知性が欠格しているという点ではやはり同様であるのでしょう。

マーティン・ルーサー・キング牧師ノ夢果タサレタトイヘリ(巌野)

●今月米国で黒人大統領が誕生する。バラク・オバマという人物である。このことについては今世紀中は不可能ではないかと学生時代に友人と話し合ったことがある。が予想を遥かに上回るスピードで実現したことになる。20年前のベルリンの壁崩壊以上の驚きである。
●かつて公民権運動華やかなりし頃のキング牧師のワシントンでの演説を聞いたことがある。ずっしりと重力のある言葉で”I have a dream“というフレーズが延々と繰り返されるものである。かつてこの言葉を使う人物でこれほどの存在感を示したものは皆無であるといっていい。ある種の詩であり実現性の有無を超越した神の意志のようでもある。感動という月並みな言葉で表現できない何かを感じさせるものがある。
●残念ながら牧師の生きた時代には果されなかったその夢がついにはたされる。牧師の夢のすべてではないだろうが、大統領として国政にあたるオバマの姿が次の世代に綿々と受け継がれていくだろうと思えるからだ。“I have a dream.That one day on the red hills of Georgia. the sons of former slaves and the sons of former slave-owners will be able to sit down together at the table of brotherhood“という言葉は遠くない未来に実現されることだろう。多くのアメリカ人が夢に酔い、多くの期待をオバマに向ける意味が少しわかるような気がしてならない。オバマへの期待は経済問題以上にそんなところにあるような気がしてならない。