官僚制と組織の年齢討論会(久里田)

●よく政治家は官僚制打破とかなんとかいいますが、それらしい処方箋が示されたことはありません。さてこのような課題について歴史は何を教えてくれるのでしょうか。先日メンバーで集まってお酒を酌み交わす席で私からそんな質問を各位に投げかけてみました。
●岩倉具視や西郷・大久保なら、悩まずに五箇条のご誓文のたて看板が出た明治初年から官僚制を作り直すだろうねといったのは、永野さん。いわく、「だって、140年以上殆ど大した見直しもせずに維持してきんでしょ~」。確かに。「伊藤博文は国会を開設したり、憲法を制定するときに、当時の志士あがりの政治家をまったく信用せずに、官僚独裁を考えたということだからね~」。
●「ソビエトなんか革命の後数年もたたないうちに詩人が官僚制を皮肉ってるな。」というのは巌野さん。組織ってさ、恒常的に硬直化するのが宿命なんじゃないの。まあ、それでも崩壊するまで70年も延命したんだから、恐ろしいね。
●軍隊なんかのほうが参考になるんじゃないかというのは、東宮さん。「例えば日露戦争が終わってから、20年もたつと陸軍にこのままじゃいけないということで、二葉会って名前の若手将校の集まりができるんだよね・・・。明治元年から30年たった日露戦争ぐらいで軍隊はピークをつけて、それからはひたすら硬直化してくってことだよ。結局その二葉会っていうのも何も解決できずに、東条英機みたいな官僚型の無責任政治家を生み出しただけだしね。」
●そういう意味では、江戸時代前期の幕藩体制のほうがすぐれているかもねというのは、隈川さん。だって、藩主が代替わりするたびに家臣は殉死したり隠居したりするから、実は同じ体制が何十年も続かず、うまく体制を入れ替えてると思いますよ、実際。或る意味、古代エジプト王朝の奴隷による官僚制度とか、アメリカのスポイル型なんかに近い官僚制度だったように思うんだけど・・・。
●夫婦関係とおんなじだよというのは、阿房さん。「結婚してからの時間を考えるとさ、まあ5年で夫婦関係は形骸化。子供が生まれて新しい関係にスイッチしたけど、それも子供が思春期を越えると、更に進んで冷却化。純粋に幸せだって思える関係であり続けようとおもったら、頑張って5年。刹那的に考えるとせいぜい1年じゃないかな。あくまでボクの場合なんだけど。」
●うーん、各位なかなか鋭い論点です。個人的に思うのは、いろいろなお話に出てくる年数の問題です。社会システムとしていろいろ繕ってみたところで、最終的に寿命論として捉えて、根本的に入れ替えてしまうほうがよいのかなということです。大体30年ぐらいの時間を大きなスパンとして捉えて、1年・10年の単位で小規模・中規模の修正を加える・・・。サイクルとしてはそんなところでしょうか。いずれにしても日本の官僚制度がまずいというなら、一度思い切ってスクラップしたらいいのではないでしょうか。ドイツに近い官僚専制型を選択してから100年以上の時間がたっているわけですから・・・。

久々にケン・ロビンソンを楽しむ(久里田)

●久々にケン・ロビンソン(Ken Robinson)のプレゼンをTEDで視聴しました。正直な印象として特別に新しい部分はなかったように思うのですが、この人の場合、内容よりもその話術の巧みのほうに目を奪われます。一言で申し上げれば楽しいのです。
●最近とても残念なのはTEDのコンテンツ自体がやや勢いをかいているような気がしていたことです。登場人物が増えたということもあるのでしょうが、一体何が優れているのか、本質を疑いたくなるようなものもあるからです。そういう意味では、いかにもTEDが生み出したTEDらしい登場人物が再登場してくれたことにどこかほっとした部分もありました。
●さて内容に少々触れておきおきましょう。今回は学校教育というものが子供の創造性を殺しているというものでした。画一的で工業生産にふさわしい人間を要請する場としての学校教育は、現代のように多様な知性や能力を必要とする社会には不適当だということです。内容自体は前回登場したときの内容と大きな違いはないのですが、事例やジョークの入れるポイントの巧みさという点では、前回以上に視聴者の心をつかむ内容でしたでした。
●とはいえ、最後まで視聴していて何度も頭をもたげてくるのは、やはりTEDの寿命のことです。Kenのような人物が何度も登場するのはかまわないのですが、一方でTEDという仕組み自体で発掘できる良質なコンテンツにもそろそろ陰りがみえてきたともいえるような気がするのです。テレビでもなく、一国に専従するわけでもなく、NPOという形式で良質なコンテンツを世の中に送り出すという取り組みは、そろそろ別の分野やプレーヤーたちの手によって、次の段階に進化していくべきタイミングではないかと思うのは私だけではないでしょう。

1997年4月の日経平均週足チャートを読む(久里田)

●消費税増税がいざ始まった2014年の4月の相場はどうなるのか、知人の専門家A氏に聞いてみた。結論としてはよくわからないが消費税を3%から5%に上げた1997年と比較したらいいのではとのこと。合理的な説明にはならないが、こういう過去のデータとの連動性を金融関係者は気にするらしい。
●早速1997年4月の週足チャートを引っ張り出してみた。1997年は1月から大きく調整したが、4月11日近辺で年初来安値を更新し、同じ週に大きく反発している。これは専門家の言う大底のサインである。一方の2014年4月の同じチャート。同様に4月11日に14000円を切るという大きな調整がはいったものの、反発は殆どなし。ここが底値だとは誰も感じることができず、非常に不透明な曇り空ということになっている。
●ちなみに1997年はその後6月まで堅調に株価は推移するが、新年度入りした最初の経済統計が明らかになるにつれ、6月以降は調整入りとなった。2014年は果たしてどうなるのかとA氏に聞くと、先週までは4月11日で同じように大底になると読んでいたのだが、今週反発がないので非常に不気味だとのこと・・・。このままだらだらゴールデンウィークまで進み、5月初旬頃の決算のピークまで、材料のない状態が続くとなると、何か突発的なニュースなどで一気に更なる底値を試しにいくかもしれないとのことらしい。
●考えてみると、新たなプラス材料があるわけでもなく(決算の数字は折込済み)、むしろいつおきるかわからない、ウクライナ内戦・ロシア軍事侵攻の可能性、中国経済のハードランディングの可能性、アメリカの5年にわたる景気拡大の終わりなどなど、マイナス面のリスクばかりが目だって見えてきてしまいます・・・。春の野を舞う蝶のようにフラフラとしている日本の株式市場ですが、世界と日本の投資家の資金を多額に巻き込んでしまっている以上、これ以上の下押しは、結局再度の資産デフレを招きそうな気がしてなりません。個人的には一旦手仕舞いしておくことにしました。

黒田総裁発言に失望→アベノミクス終焉の始まりか(久里田)

●今日の日銀黒田総裁の会見を眺めながら、アベノミクスの終わりを感じました。特に気になったのはインフレ目標2%を確信しているというコメントです。輸入物価の高騰だけが一人歩きしている昨今、消費増税の影響も見えない中で”確信”などという表現を使うのは、日銀責任者としてのプライドと、何の政策的前進もない政府側への無言の抵抗、そして俺の責任じゃないからという官僚的な気取りそのものだと感じたのです。
●日銀からすればまあそうかもしれません。中央銀行として空前絶後の規模で金融緩和をやったのですから・・・。しかし政府側といえば、成長戦略はアウトプット不明。TPPも成果なし。経済の問題も収束しないのに、集団的自衛権がどうのこうのという体たらくです。日銀に金融緩和だけさせときゃいいんだという風に見えます。ジャブジャブお金を市中銀行に流したところで、投資対効果の査定に厳しい銀行の融資担当者からみて、おめがねにかなう融資案件は登場しません。お札の束だけがつみ上がってしまいそうな気配です。
●そんなことをしているうちに、世界経済はすっかり調整ムードに包まれています。本日の終値で日経平均を眺めてみると、月足MACD(下段)がもうすぐデッドクロスしそうです。勿論米国やウクライナ問題、新興国市場の不安などの諸問題もあるかと思いますが、欧米は順調に成長、日本株はロシア株なみに下落基調から脱出できない状況となっております。例えはよくないですが、プーチン並にアベノミクスは見放され始めたとみたほうがよいのではないかと考え始めております。
●ただでさえ今年は消費税をさらに10%にあげるかどうか見極めるという大イベントもあります。景気弾力条項も設定されているものの、見直すとなれば再び国会でああだこうだと議論しないといけないという法案になっています。成長戦略や規制改革・TPPなどと同様、何だかアウトプットもなく、時間だけが過ぎて、結局増税して補正予算で穴埋めしますということになりそうで、非常に嫌な予感がしております。
●あと数ヶ月から半年近くたって、ああ4月(或いは5月)までがアベノミクスでしたねえ、といったような会話を知人たちとする羽目になるような気がして、何だか落ち着きません。少なくとも本日の黒田総裁の発言を聞いて、しばらく日本の金融資産に投資する意欲を失ったのは、私だけではないでしょう。

アベノミクスはアホノミクスかどうかを問う(久里田)

●新大阪で東京へ向かう新幹線を待っておりましたが、あまりの混雑にすっかり嫌になって帰ってまいりました。何でも有楽町で火災があったとか。震災のときもすぐに開通した新幹線ですが意外な脆弱さを露呈しました。大阪の実家では、甥と姪がまだ買ったばかりのゲーム機で遊んでおりまして、何しにかえってきたん・・・と非常に冷たい対応です。やはりお年玉をもらってしまえば、ただの厄介なおじさんなのでしょうね。邪魔者扱いの当方は、二階の親父の書斎でこうして雑文を書いてみることにしました。
●さて個人的に、今年一番注目したい経済学者は浜矩子氏です。あの独特のこってりとして可愛げのない語り口を私は大変愛しております。皮肉で申し上げているわけではなく、世間に隷属したようなヘラヘラした経済学者や大学教授が多い中で、唯我独尊、わが道をゆくとでもいうべき、論陣の張り方は近年にない迫力を感じるのです。
●昨日二日の晩に幸福論を語るという教育テレビの番組で、島田雅彦氏など専門家三氏とともに出演されておりました。本日と同様実家一階を甥や姪に独占されていた私は、同様二階の書斎で一人この番組を見ておりました。浜氏が取り上げた幸福論は、アダム・スミスの国富論を底本としたものでした。浜氏の前の島田雅彦氏が西鶴の好色一代男を取り上げたのに対して、やはり経済学者だなと関心したのもつかの間のこと。幸福のポイントを総括する一言としてフリップに整理された言葉は、”他人の痛みを知る”こと。かなりの驚きでした。
●私もアダム・スミスは学生の時にこってりと読んだくちなのですが、浜氏のような深い読み方をしておりませんでした。重商主義国家のシステム上の問題点と、労働価値説というものを浅く理解しただけでした。他人の痛みを知って、なお経済や社会が豊かになるというスミスの思いというものを、改めて学習いたしました。あの強面の印象の奥に、人間らしい一面を併せ持っている浜氏の、まだ見ぬ一面を知ったということもあって、何か新年からうれしくてたまらない気持ちになりました。
●今年はアベノミクスの真価が問われる一年です。私自身金融緩和独走で始まったアベノミクスは、その限界が露呈する一年だと思っております。成長戦略にみるべきものはなく、規制緩和云々といっている政策にも何の目新しさもありません。浜氏のいうアベノミクスの本当の姿が”アホノミクス”であるのか否か明らかになるという意味で、今年は浜氏の登場する機会が増えるのではないでしょうか。浜矩子氏とともに今年は経済の本質を明らかにしていきたいと思います。

みんなの党の分裂を眺める(久里田)

●みんなの党が分裂した。結党三年目だという。しかしそもそも結党の理念がなんだったのかと思っていた矢先、江田元幹事長の記者会見が開かれて、そもそもの理念が政界再編だったということを思い出した。要するに、(江田さんには悪いが)政党が合体するとか、離散するとかそういうこと自体には、個人的な関心はないということだ。
●冷戦時代の社会党と自民党という対立軸もたいした意味がなく、平成の民主党と自民党という体制もたいした意味がなかった。ついでにいうともっとさかのぼって、大隈重信と板垣退助時代のいわゆる隈板体制対伊藤博文という対立軸にもたいした意味はなかったように思う。あえて言えば明治時代の成果は、憲法発布と国会開設だったという点で、(比較の問題だが)戦後よりも遥かに意味があったように思う。
●政界再編とかいうことはしたがって、関心の薄いテーマになっている。かつて民主党を第一党に押し上げたのは、いうなればフランス革命においてジャコバン政権を作り上げた、大衆の鬱憤解消エネルギーと同様のものだったといっていい。事業仕分けなどというものは、言ってみればジャコバン派の人民裁判とギロチンのようなもので、一時的に誰かをとっちめてしまうと、急速に生あくびの対象となった。
●政党の形などを政治の主題に掲げるのはしたがって無意味である。他政党との政党協力を図る前に政策コンセプトをリッチにすることが必要だ。民主党には何もなく、維新の会には国家感がない。みんなの党は意味不明である。同じように何もなくても、安倍さんは毎月きちんと給料を持って帰ってくるお父さんと同様、何だか羽振りがいい。だから安倍さんのほうがましだ、ということになる。倒産間際の会社では資金計画がいい加減ではたちゆかない。だからアベノミクスに魅力があった。しかしいつまでも倒産間際ということでもなく、そこそこの経済情勢になれば、非常時体制が弛緩して、国民は夢を見始める。そのときに花開く国策を準備しておかなければならないと思う。
●アベノミクスの賞味期限切れは、円安と株高が調整入りするまでだろう。株価1万8000円近辺、一ドル110円近辺で、国民の資産倍増の夢は終わる。そのときまでに、日本の国家としてのあり方、世界経済における反映のあり方を、国民に提示する政党が首班となるべきだ。
●アベノミクスの成長戦略の内向きな内容には、私は大いに失望した。政党はどのような形でもよいが、次の時代の国家のあり方だけは国会で議論してほしいと考えている。

15歳の少年ジャック・アンドレイカを受け入れる社会(久里田)

●15歳の少年(Jack Andraka)がすい臓がんの試験紙の開発に成功というニュースはどこかで読んだ気がするが、TEDカンファレンスでお目にかかるとは思わなかった。三連休の最終日にたまたまプレゼンを見たが、なかなかのものである。
●なかなかというのは、少年のことではない(この少年に対しては文句なくすごいというべきである)。この少年の思いついた試験の方法を受け入れたジョン・ホプキンス大学の研究者の方である。ただでさえ保守的な医学界で、たまたま思いついたからといって、その可能性を見抜き、試験紙の研究のために施設を開放するなどということは、並の大学関係者には不可能である。特に日々目にする日本の大学関係者などはまさしくそうで、人のことどころか自分のことだけで精一杯で、少年自身を含めて外部の素人のたわごとといった扱いをするに違いない。
●もちろん米国といえどもこういうケースはまれだろう。なにせ15歳の少年のことである。実際プレゼンによれば200通のメールをこの少年が出したところ、返信があったのは先に述べた研究者一名のみだったらしい。99%の研究者は少年の提案を却下したわけで、よく見る保守的で頭の固いアカデミズムの皆様といったところだろう。しかし、それでも200分の1の可能性でこの少年の話を真面目に聞こうとする人がいるという国はやはり、さすがアメリカ合衆国といえるだろう。やはり日本ではありえないと思うばかりである。
●しかし、なぜ日本ではこうした特異なサクセス・ストーリーが成立しないのだろうかと真面目に考えてしまう。人口ではアメリカの半分もの規模があるから、一つぐらい出てきてもおかしくない。ベンチャーの出現率も同様だが、社会全体に意味不明な膠着感があるのかもしれない。単に法的な制度や仕組みの問題だともいえないだろう。個々人のエネルギーと社会全体の柔軟性の問題ではないかとよく考える。万能でなく、一点豪華主義でも構わないので、社会全体で特異な才能を見いだせるような文化が日本にも根付いてくれないものかと、今回も深く考えてしまった。

消費増税決定はアベノミクス終焉の始まりか(久里田)

●消費増税決定の首相演説を眺めて大いなる失望感を覚えました。そもそも昨年法案が可決された時にも感じたのですが、景気弾力条項が中途半端な代物で、増税比率の見直しには再度法案の提出が必要という、きわめて世間を煙にまいたような内容であることです。再度国会で大審議することが現実的に難しいことを踏まえた策略のような法案であるのです。
●この点について、ヒアリング対象となった有識者諸兄の意見の具申の仕方も中途半端で、、”一度決まったことを変更すると国際的な信認を失墜するので・・・”という答えばかりでした。財政面から言えばその通りですが、デフレからの脱却という至上命題からすれば、”景気は腰折れするかどうか”という一点のみで答えを要求すべきだったのではないかと私は考えています。単に世論形成を目指すための、誘導尋問形式だったような気がして、個人的には政府関係者と有識者への不快感をぬぐいきれません。
●今後の注目ポイントは、成長戦略に絞られるでしょう。日銀の追加緩和は十分にありうるシナリオですが、そもそも緩和するだけでは、市中銀行に意味不明なお札の山が積まれ、これまたナンセンスな不動産バブルが起こるだけでしょう。投資や貸出の対象となりうるビジネス機会そのものが、具体的に見えてこないと、銀行家というものは一円も貸してくれません。この点、銀行とあれこれ接点を持ってきた私の経験論からすれば間違いありません。今後発表される内容次第ですが、ここまで聞こえてきている特区等の規制緩和だけではとても追いつかないのはまちがいありません。
●話をもとに戻しましょう。景気の腰折れ懸念は確実に高まってしまった一方、財政赤字の方はいったいどうなるのでしょうか。歯止めの利かない医療費の増大を考えると、歳出抑制策が示されないと、こちらも焼け石に水と映ってしまいます。デフレ脱却も財政赤字もともに不透明という極めて不安な状況を作ってしまっているように、私には思えてなりません。
●従って昨年11月頃から始まったアベノミクスも一旦これで終わりだとみてよいと思います。現時点では60%以上の支持率があるようですが、株高政権の宿命として、株価の低下をきっかけに、等比級数的に弱体化するのではないでしょうか。すべては成長戦略次第ですが、内容も方向性も、次の政権スタッフ中心で進めたほうがよいと私は考えています。

裸の王様と薄熙来事件(久里田)

●土曜の晩に麻布で一杯やっているときに中国通のアメリカ人から薄熙来事件のことを聞かれました。まあどう思うかということでしたが、思うも思わないもとにかく真実がわからないと応えました。勿論報道から聞こえてくる内容は聞こえていますが、報道もどちらの側に立っているかどうかも不明で、どれもこれも信用するに足る情報がないので仕方がありません。
●その中国通の友人は、結構な責任と地位を持った人物ですが、面白いのは中国政府の崩壊の仕方というものをこっそり研究していることです。彼に言わせれば、今回の薄熙来事件で改めて中国共産党の”裸の王様(原文:The Emperor’s New Clothes)”ぶりが明確になった事件であるとのこと。賄賂・汚職を道端の中国人から聞くと、それは中国では当たり前のことだという。薄熙来が重慶市や遼寧省でのやってきた汚職撲滅運動を多くの中国人は眺めてきて、薄熙来だけは汚職はしないだろうと思ってきたが、彼と彼の妻があのような形で捕縛されているのを見ると、いったい本当に汚職を撲滅しようとしている共産党員がどこにいるのか聞きたい・・・とまあそんな内容でした。
●要するに汚職撲滅というのは一種の大衆向けのプロパガンダで、個人の問題を考えると誰一人汚職を悪だとは思っていないということです。アンデルセンの童話に登場する裸の王様にとたとえれば、中国では王様のことを裸だといってはいけないという明文化されていないルールがあるということです。場合によると中国の現在の中央首脳部にせよ同様のことではないだろうかという、彼の一言は非常に怖いものでした。
●煎じ詰めれば現在の中国の体制では、党中央部を含めて誰一人あと十年持つとは思えないということです。それも同様に、言ってはいけない暗黙の認識であるから、ハワイや米国西海岸の高級住宅地に中国人高級官僚の愛人や高級別荘が隠密裏に建設されているらしい・・・。だから中国政府の崩壊の時というのは、崩壊の時にいざ北京の中南海にいってみると、誰一人いないのでは・・・。まあ知人の見通しをまとめるとそういうことになるらしいのです。
●今回の薄熙来事件の無期懲役という結審の仕方は、ひょっとすると中国崩壊の始まりになるかもしれません。二代目・三代目になった共産党幹部は、裸の王様となった共産党を内心見捨て、さらに短期的な利益を追求するようになるでしょう。アヘンを禁じながら、裏で大量に販売して資金源としていた日本の関東軍や当時の国民党政府と同様に、さらに資金獲得にまい進するのではないでしょうか。悲しい現実ですが、中国の今後の歴史を考えると早く新政権を樹立することが肝要なのかもしれません。

サイモン・シネックのいう”Why”に応えるリーダーとは・・・(久里田)

●さて再びTEDカンファレンスです。今回はサイモン・シネックのプレゼンテーションです。この人物はゴールデン・サークルという、人間の基本的な動機づけを説明するチャートで有名になった人です。簡単にいうとこの円の中心にある”Why”という部分に中身がぎっしりと詰まっているリーダーに人はついてくるものであり、組織はおのずと成功に導かれていくというようなことです。ちょっと抽象的な概念なので、プレゼンの中で紹介されている具体例の方がわかりやすいでしょう。
●アップルのIPhoneを人は何故買うのかという説明は非常にわかりやすい説明でした。単に機能的に優れているのではなく、その商品を生み出しているアップルという会社自体が唱えるある種の社会変革的なメッセージに消費者は心を打たれるということです。要するに、What(どういう商品・機能であるか)/ How(どんな技術で)ということではなく、Why(何故この商品を世の中に送り出すのか)というポイントが明確であるということです。
●この点については日本企業などは耳が痛いところでしょう。散々儲からない時代を生きて、利益中心(損失削減)に経営のカジを切りすぎ、かつて存在したこの”Why”の根本が見えなくなってきている企業が多いからです。サイモンに言わせれば利益などは所詮結果であって、チャート上では単なる”What”です。商品を開発する技術陣や購入しようとする消費者のココロに響くメッセージはこの”What”だけでは根本的に満たされないので、実は最終的に利益も上がらないという結果を招くだけになるということです。非常に核心をついた観方であると思います。
●考えてみればこの指摘は経営だけにとどまらず、人間にとって普遍的な概念であるかもしれません。所詮死ねばすべてがおわるという人間の宿命の中で、利益等は所詮手段にすぎません。社会において、或いは家庭の中において、何故自分はここでこうして生きているのだということが自分で納得できるということが、最も重要なポイントであるのだと思います。
●世界中の中間層が歴史的に大きく底上げされている現代において、ヒトの心を動かす仕組みがますますこの”Why”に集中する時代になるような気がします。サイモンのいう、ライト兄弟やキング牧師、或いはTIVO社の話などを聞くうちにますますその感を強くしました。