ゾルゲとスターリン(永野)

●南仏にいる。まるで晩年のゴッホの世界にいるようだ。毎晩夜遅くまで酒を酌み交わし、信じられないような暑さで目覚める。目覚まし時計はいらない。部屋に住み着いている猫がベランダから侵入してきて、毎朝顔を舐めてくれる。さて朝飯でも食うか、とそんな生活である。
●朝食後にタバコを一本吸っているうちにふと思いついた。ゾルゲのことだ。処刑されるにいたるまで極秘情報を収集しながらも、ついにその情報は使われなかった。スターリンはドイツは攻めてこないと思い込んでいたからだ。今ロシアでは結構な英雄として扱われているが、何やら悲しみにたえない。
●普通の日本人からすると、極秘情報をスパイされたという意味で、あまり良い感情を抱かない人もいるだろう。しかし一人の人間としてみると、魔王のような権力を持ち、偏見と思い込み、猜疑心のとりこになったような男の部下になったばかりに、勤勉に働いた成果を台無しにされ、一人東方の地で処刑される心境というのは同情するに余りある。
●とはいえこのような悲劇は現代も変わらない。長期政権は独裁になり、為政者は孤独で耳障りの良い情報ばかりに取り囲まれる。ずる賢さを磨き上げた幹部は本質的なものを遠ざけて為政者からの飴玉が落ちてくることだけを期待している。賢さと勤勉さは、実ははるか遠い僻地に赴任する愚直な官吏や、在野で一人研究し続ける一部の数学・物理学者、詩人、音楽家の中にだけある・・・。
●人間社会のそうしたどうしようもない弊害を防ぐために、世界は多選の禁止を綱領にうたってきた。放置すればろくなことにはならない。ロシアのプーチン、中国の習近平、北朝鮮のキムジョンウン、トルコのエルドワンなどばかりではない。日本の自民党はわざわざ内規を変更してまで現在の首相に三選を許そうとしている・・・。二期やって大したことができず、長期政権の弊害が随所に出ている現政権に、三度目の正直を許す趣旨は一体なんなのか、素朴に思うのは私ばかりだろうか・・・。
●おっと電話がなった。もう友人と会う時間だ。仕事なのか趣味なのかと問われると、どちらも正しいといえる関係だ。フランス人だから政治の話を仕掛けると一晩語りつくすことになる。折角だから長期化する世界各国の政権について話をしてみることにしよう・・・。相手は無論女性だ。

世界一の横紙破りは世の中を何処に連れ去るのか(阿房)

●世の中には”横紙破り”と呼ばれる役回りがあるようです。ふすまの紙をベリベリとはがすように破る係という意味らしい。これといって特別な力量や才覚が必要ではないですが、普通の人々が礼節や常識に基づいて丁寧な対応しかできないときに、大きな顔をして厚顔無恥に登場することが求められます。
●企業・労働組合・自治会・政治家・総会屋等に時折こうした人種を拝見します。声が大きくて、論法は頭から水をかけるような否定から話を始める特性があり、議論には一切応じることがない・・・。破壊と畏怖を与えたあと、相手が弱気になってから話を自分の有利な方向に誘導しようとする傾向がある・・・。砂漠のバザールでラクダ売りたちがこういう技を戦わせるのを見ている内は結構愉快ですが、最近は国際政治の舞台にも登場するから、笑ってばかりもいられません。
●現在世界一の横紙破りは合衆国大統領でしょう。確かに品のいいオバマとは違う。何が何でも公約を実現していい恰好をしたいから、為替レートには口を出すし、プーチンや北朝鮮のような相手をほめてみたり(自国の情報機関は間違いだと言ってみたり)、保護主義こそ最善だと発言したりする・・・。
●要するに実態は壊し屋で無礼千万な存在として鼻をつままないといけないのですが、どっこい世の中にそれなりに求められている部分があるので、次々に活動領域を広げている。現在の世界と合衆国の状況はそのようなものでしょう。
●このままいくと、自由貿易・変動相場制・NATOを中心とする欧州の安全保障・中東和平・東アジアの安全保障などの全てが一旦ゼロクリアされそうです。アメリカが一番になれるなら中国はなくなっても構わないし、地球環境が壊れたっていい。メキシコ・カナダ・EU・日本の各国は貿易赤字がゼロになるならいいけど、そうでなきゃ我儘を只管飲み込んでもらうから宜しくねっと言われているような気がいたします。
●ただこの手の壊し屋さんの危険なところは、更地になったあとの新しい建物をどのように作るのかについてあまり深く考えていないことです。世界中が貧乏でも自分の国の経済成長が益々絶好調を維持できると本当に信じているのでしょう。このままいきますと必要悪を超えたところまで連れていかれて、挙句の果てに本業のラクダ売りに戻るから、あとは自分たちで決めてね・・・というような状況に世界が追い込まれるのではないでしょうか。
●阿房が飲み屋でそのように暴言を吐きますと、ちょっとエリート風のおじさま方は、「いやあ阿房さん、トランプもそこまで阿呆じゃないでしょう。ビジネススクールも出てるしさあ~。」といいます。しかしエリートの皆様はいつもこうした大権の持ち主を過大評価し過ぎるので、過去にも「スターリンは実は大人物だから対日参戦しないんじゃないの。」とか、「ヒトラーはズデーデン地方を認めてやればチェコやポーランドには侵攻しないだろう。」とか思い込むようになってしまうのです。この阿房は阿呆なので、言っていることとやっていることをそのままの姿で理解するので、今回も中国とはいくとろこまでいくと理解しております。
●阿房はただの阿呆で中国共産党の手先でもなんでもありませんが、現在の合衆国と中国の激突について、日本政府もただ静観しているだけでは、横紙破りによって太平洋貿易を封鎖される可能性すらありえます。阿房はこの目で中国に進出している巨大企業の多くを見ているので、そうした企業の業績悪化が顕在化すれば、金融市場のクラッシュも十分にありえるのではないかと考えているのであります。

ケネディ家・1929年の曲がり角(ゲオルク)

●日本ではちょっとしたケネディブームのようです。JFKの長女キャロラインが駐日大使になったからでしょう。日本から見ると面白い人事ですが、過去の歴史を考えると、アメリカらしい論功行賞にしか見えないなというのが私の本音です。
●伝記作家のドリス・カーンズ(Doris Kearns)によれば、ケネディ家の礎になったのは、禁酒法時代のアンダーグラウンドビジネスと、大恐慌の際の株式の空売りだったのではないかと思えます。正確なデータはケネディ家のみ(というよりもJFKの父親のジョゼフのみ)しかわからないでしょうが、その後のステップアップにおいて、潤沢な資金を生み出せた理由はここに尽きるとしか見えないのです。
●特に注目すべきなのは、大恐慌がおきる直前に空売りに転じるという部分です。現在で言えば、ヘッジファンド顔負けの動きです。市場最高値を更新し続けるダウの動きを見ながら、空売りに踏み出すのは生半可な気持ちでできることではありません。一説には、ジョセフ(前述のJFKの父親)が靴磨きの少年が株式市場の話題を客にする光景をみて、市場が天井に達したと判断したといわれていますが、実際は相当のデータ収集を行って市場の過熱感と暴落を計算していたのではないかと思います。ある意味で、市場経済が生み出した寵児のような存在であったのではないでしょうか。
●そのジョセフがルーズベルト大統領擁立を支援し、その貢献によって英国大使のポジションを得たというのは、現在のキャロラインとオバマ大統領の関係にどこか類似して見えてしまうのは、わたしだけではないでしょう。アイルランド移民という存在が、アメリカ社会で成功の階段を上るためには、やはり良し悪しを問わず、経済的な成功と豊富な資金力がベースになっているというわけです。
●しかしふと考えてしまうのは、現在のアメリカ市場のことです。通常5年サイクルでやってくる景気循環ですが、リーマンショック以後の回復期間は現時点で既に6年目を超えました。加えて市場最高値を都度更新し続けています。ケネディ家の興隆の鍵となった、JFKの父・ジョセフなら、そろそろ巨額の空売りを仕掛けるタイミングを、虎視眈々と狙うのではないでしょうか。日本銀行の黒田総裁の追加緩和が発表されたばかりですが、それに伴ってさらに株価を上げていくアメリカ市場の動きを見て、一抹の不安と、ジョセフ・ケネディのことを考えてしまうのです。

ドイツ人のみる対米戦争(ゲオルグ)

●なぜドイツは先の大戦でアメリカと戦わなければならなかったのか、子供のころからよく友人たちと話をしました。理由は明解で、イギリスやソビエトとはドイツから戦争を仕掛けたからしょうがないとしても、日本が宣戦布告したからといってドイツはアメリカと戦争しなければならない理由はなかったからです。
●実際当時のイタリアと日本との軍事同盟の条約を読んでも、自動的にアメリカに宣戦布告する責務はドイツ政府は負っていないと書いてあります。この点日本政府のほうがちゃっかりしている部分があって、ドイツがソビエトに宣戦布告をしているのに、日本はスターリンとの中立条約締結に動いています。当時の欧州の状況を考えれば、アメリカが欧州の戦争に参加するのはチャーチルのイギリス政府が望むところで、ドイツとしては絶対に選んではならない選択肢だったはずです。それをわざわざドイツ側から宣戦布告するというシナリオにしてしまったのは、ヒトラーの最大の失敗だったといってもいいのではないかと思うのです。
●アメリカが大戦に参加しなかったならば一体どうなっていただろうというのが、私たちの関心事でした。ノルマンディーにおいて史上最大の作戦は行われなかったでしょうし、スターリングラードやモスクワは冬将軍が来る前に陥落していた可能性は極めて高かったでしょう。アフリカはロンメルが勝利し、イギリスはフランスとポーランドの亡命政府とともに、少なくともドーバー海峡の向こうで釘付けになっていたのではないかということです。たわいもない子供時代のたられば論ですが、なぜわざわざアメリカに戦争を仕掛ける必要があったのか、今もって私には理解できない永遠のなぞなのです。
●一説には、アメリカと開戦すれば日本がシベリア側からソビエトに戦いを挑むというシナリオをヒトラーが想定していたといわれていますが、本件に関する歴史的な事実の裏づけがあまり明確でないため、真実がわかりません。当時の駐日ドイツ大使館あたりが日本政府にどのように働きかけを行っていたのか、日本に来れば少しわかるのではと思ったのですが、来日十年たったいまでもそれらしい事実がつかめていない状況です・・・。
●日本が日中戦争につき進まず、満州一国だけで満足していれば、日米戦争はおき得なかったでしょうし、仮にそうだとすれば、日本が満州からシベリアに進駐することは十分ありえたのではないか・・・。そんなことをふと考えてしまう自分は、オーストリア生まれで、ナチス嫌いの両親の元に生まれたといえ、やはりドイツ人であるからかもしれません。当時のドイツと日本の外交文書がもっと公になることを望みつつ、東京に住んでいるうちに歴史の断片を明らかにしたいと最近よく考えております。

プーシキン美術館の浮世絵を眺める(浦崎)

●江戸時代の浮世絵というのは、現代に例えればタレントのプロモーション・ビデオのようなものだ。立派な芸術という扱いではなくて、ミーハー庶民の嗜好品だと思ったほうがいい。狩野派のように大名家のふすまを飾るようなものではなくて、一日の仕事で疲れ果てた駕籠かきや魚売りが、長屋に帰る前に一枚かってくかと、ふとおもいつくような代物なのである。
●たとえば、後世になってフランスで著名な浮世絵師として再評価される、歌麿の美人画などは、当時の幕府から風紀を乱す者として取り締まりの対象になっている。質素倹約に励むべきなのに、享楽的な雰囲気を助長しているからけしからんということのようだが、現代から考えるとなにやらおかしい。
●そんな不都合な事情が長く続いた結果、浮世絵は明治維新を迎えるまで下火になる。埋没していた浮世絵の価値を発見するのは、日本人ではなくフランスにいた印象派の画家たちだ。歌麿や広重、北斎に再び脚光があたり、今度は立派な美術品の扱いとなる。悲しいかな歴史というものはそういう奇妙な時間を辿るものだ。
●何年か前にモスクワのプーシキン美術館に行った。特別な意味はないが出かけた場所の美術館はおおむね出かけて作品を一日眺めることにしているから、特別な意味はなかった。金曜日の夕方に出かけたから、学芸員も暇だったのだろう。明らかに日本人と見える私に話しかけてくれた。実はこの美術館には数万点の浮世絵があります、とその学芸員は教えてくれた。世界のコレクションとしてはボストン美術館かプーシキン美術館が二大収蔵庫なのだと誇らしげな様子だった。
●不勉強な私は勿論そのことをしらなかった。正確に言えばボストン美術館のコレクションは知っていたが、モスクワにも同様の規模の収蔵作品があるというのは初耳だったのだ。明治維新になって、浮世絵はフランスに渡り、新大陸や欧州の果ての地であるモスクワに集まったというのは、何とも不思議な話だが、日本人自身が忘れてしまった価値を、遥か遠方の目利きたちが再発見してくれているというのは、何ともうれしいという気分になる。
●生きている時間にすべての価値を理解してもらいたいというのは、普通の人のこころだ。しかし自分が良かれと思ってもそうならないのも現実だ。時間も場所も問わずたった一人の目利きにでも理解されればいい。それは場合によって自分自身かもしれない・・・。学芸員に頼んで収蔵庫の中にしまわれた浮世絵を眺めながら、私はそんなことを考えた。

ウクライナとロシア問題を眺める(ゲオルク)

●今回のロシアのクリミア編入は欧州では結構な事件でした。ヒトラーのチェコ併合、ブレジネフ政権時代のハンガリー動乱のような事件は二度と欧州では起きないという認識が、現代のヨーロッパにあったからです。これは当のロシア人の中にもあるようで、多くの友人たちから驚きの言葉を聞きました。
●日本にいるとわからない部分があると思いますが、人種と国家の問題をきれいに仕切りなおせる国家は欧州にはありません。ウクライナでロシア系といわれる人々が登場しますが、実はロシア人の中には数多くのウクライナ系と呼ばれる人がいます、またバルト三国などを旅行していればわかることですが、エストニアなどは普通にロシア語が話されているぐらいです。この難しい人種と国家の問題を、強引に整理しなおそうという試み自体がまさにナンセンスの一語に尽きるのです。
●今回の一連の事件でまず何を分析すべきなのかと、冷静に考えてみる必要があります。兎角ロシアの暴虐的行為ばかりが目立ちますが、実は最初の段階で引き金を引いたのがウクライナであることを忘れてはいけません。前政権が失政を行ったのは事実かもしれませんが、クーデターのような出来事で暫定政権が成立したという事情が重要です。あくまで総選挙までの暫定政権であるのに、突然第二公用語であるロシア語を廃止すると言い出したりと、極めて大きな政治決断を行いました。このことがウクライナに大きな経済的な利益を得ているロシアを刺激したのは間違いありません。
●従ってロシアからは、最初に喧嘩を売ってきたのが正統でないウクライナ暫定政権ではないかと写ったはずです。また若干欧州側が簡単にEUやNATOへの加入などをにおわせてしまったという事情もあるので、話は混迷を極めていくわけです。従ってプーチンの演説にあるように、欧州側が超えてはいけない一線を超えたのがきっかけだ、という表現になってくるわけです。
●今回の事態は最終的にどうすべきなのかという道筋は非常に見えにくくなりました。欧州とロシアの深い関係を考えるとこれ以上のロシアの軍事的挑戦はないでしょうが、ウクライナの国家破綻懸念はさらに現実的な問題になっています。ギリシア問題などで疲弊した欧州に、ウクライナを現在のままでEUに加盟させるはずもなく、ぎりぎりの支援枠を提示するのみでしょう。クリミアの問題はさておき、国家財政破綻を回避するために、まずは如何にIMFなどと再建策を具体化できるかに尽きるのかもしれません。
●決してロシアを弁護するつもりはありませんが、経済的に破綻寸前の国家体制の中にあって、ロシア人嫌いを振りかざして、理念的なことばかり並び立てる暫定政権側にも大いに問題があるのも事実でしょう。根幹にある経済問題を解決しなければ、あれこれ表面に見えている問題だけを修正しようとしても、何も進まないような気がします。

ソチで米露ホッケー戦を観戦する(ゲオルグ)

●オリンピックを見にソチまで来ています。感謝祭前にベルリンへ帰ってきてから数ヶ月、パリからアテネ・イスタンブールまで足を伸ばしたので、ついでにソチまでやってきたというわけです。個人的にはビッグ・イベントは苦手なのですが、たまたま観戦できなくなった友人がいましたので、代わりにアイス・ホッケー会場で応援する羽目になったといったほうが、より正確かもしれません・・・・。
●さてたまたまやってきたロシア対アメリカ戦の内容です。ルールもろくろく知らない私にはいまひとつピンときていない局面が多々ありましたが、結果大変面白い内容でした。同点で迎えたところでサッカーと同じように、一対一のゲームウィニングショットが始まります。ロシア人関係者の中でそ知らぬ顔で観戦している私としてはロシアチームを応援すべきだったのですが、アメリカチームの得点の方にも単純に反応して歓声をあげてしまいました・・・。個人的な歴史観としては冷戦時代のロシアの印象を払拭できない部分があるのですが、熱血応援団の紳士淑女は極めて大人で、私の反応を見ても特別とがめられることはありませんでした・・・。結果的にアメリカチームが勝利しましたが、最後まで興奮し続けた時間でした。
●しかしかえる道々ふと考えたのはチケット代金のことでした。テレビで観戦すれば無料ですが、チケットをまともに買おうとすると1000ドル程度になるとのこと。あたかもギリシアの失業率が28%と発表されたタイミングでもあり、ロシア国内でこれほどのプレミアチケットを購入する余力があることに改めて驚くばかりでした。ウクライナをめぐって欧米と駆け引きを続けるプーチン政権の力強さは、こうした富裕なロシア人階級を多数作り出せた自信でもあるのかもしれないと、ホテルのロビーでコーヒーを飲みながら考えた次第です。

シャットダウンだらけの本日のアメリカ合衆国(永野)

●最近政治や経済にすっかり関心を失いつつあった私ですが、今週に入って米国政府のほとんどの機関がやたらに”シャットダウンの場合は・・・”という注意書きを掲示しているので、否応なく米国政府のことを調べる羽目になりました。
●どうも先週から上院と下院で法案がいったりきたりしてのは知っていましたが、述べ15時間に及ぶナンセンスな時間稼ぎの話を面白くおかしく聞いているのみでした。しかしオバマケアを中心にして、いよいよ財政予算の枠を巡る議論が決着しないということになって、(場合によって)米国連邦政府の財政支出が関連する機関はシャッターを閉めてしまうということのようです。政治や経済に関するものだけでなく、スミソニアンのような文化的に重要な施設までが”シャットダウン”してしまうというのは、困ったものです。
●しかし小さな政府云々といっても、それはやはりアメリカ合衆国の規模で起きてしまうといのうは大変な出来事なのだなあというのが、私の実感です。定期的に訪れているスミソニアンのような、一億点以上の収蔵品を持ち、エノラゲイ等のような巨大収蔵品も展示しているのに、無料というきわめて良心的な施策で、世界に門戸を開いているというは、やはり世界の大国であるからです。日本のように庶民から多大な入場料を巻き上げる割に、たいした収蔵・展示品もない国というのはやはり小国なのでしょう。
●従って正確にいうと、スミソニアンの前で米国連邦政府の悪口などとてもいえないなというのも、これまた偽らざる本音なのです。小国日本から来た私のような存在からすると、入館料を払ってもいいので、中に入れてもらえないかなあというところが現在の心境なのですが、手持無沙汰のあまりたまたまそのことを話しかけたか人の国籍がどうも文化大国フランスだったようで、彼女曰く”文化遺産の閲覧は無料が基本”であるとのこと。しかし原則論はともかくとして、何とも打開の方法がないというのは困りました。糸口のない私は、ホテルで久々に(禁煙していたはずの)煙草を一服。雑文を書いて鬱憤を晴らすのみでした。

裸の王様と薄熙来事件(久里田)

●土曜の晩に麻布で一杯やっているときに中国通のアメリカ人から薄熙来事件のことを聞かれました。まあどう思うかということでしたが、思うも思わないもとにかく真実がわからないと応えました。勿論報道から聞こえてくる内容は聞こえていますが、報道もどちらの側に立っているかどうかも不明で、どれもこれも信用するに足る情報がないので仕方がありません。
●その中国通の友人は、結構な責任と地位を持った人物ですが、面白いのは中国政府の崩壊の仕方というものをこっそり研究していることです。彼に言わせれば、今回の薄熙来事件で改めて中国共産党の”裸の王様(原文:The Emperor’s New Clothes)”ぶりが明確になった事件であるとのこと。賄賂・汚職を道端の中国人から聞くと、それは中国では当たり前のことだという。薄熙来が重慶市や遼寧省でのやってきた汚職撲滅運動を多くの中国人は眺めてきて、薄熙来だけは汚職はしないだろうと思ってきたが、彼と彼の妻があのような形で捕縛されているのを見ると、いったい本当に汚職を撲滅しようとしている共産党員がどこにいるのか聞きたい・・・とまあそんな内容でした。
●要するに汚職撲滅というのは一種の大衆向けのプロパガンダで、個人の問題を考えると誰一人汚職を悪だとは思っていないということです。アンデルセンの童話に登場する裸の王様にとたとえれば、中国では王様のことを裸だといってはいけないという明文化されていないルールがあるということです。場合によると中国の現在の中央首脳部にせよ同様のことではないだろうかという、彼の一言は非常に怖いものでした。
●煎じ詰めれば現在の中国の体制では、党中央部を含めて誰一人あと十年持つとは思えないということです。それも同様に、言ってはいけない暗黙の認識であるから、ハワイや米国西海岸の高級住宅地に中国人高級官僚の愛人や高級別荘が隠密裏に建設されているらしい・・・。だから中国政府の崩壊の時というのは、崩壊の時にいざ北京の中南海にいってみると、誰一人いないのでは・・・。まあ知人の見通しをまとめるとそういうことになるらしいのです。
●今回の薄熙来事件の無期懲役という結審の仕方は、ひょっとすると中国崩壊の始まりになるかもしれません。二代目・三代目になった共産党幹部は、裸の王様となった共産党を内心見捨て、さらに短期的な利益を追求するようになるでしょう。アヘンを禁じながら、裏で大量に販売して資金源としていた日本の関東軍や当時の国民党政府と同様に、さらに資金獲得にまい進するのではないでしょうか。悲しい現実ですが、中国の今後の歴史を考えると早く新政権を樹立することが肝要なのかもしれません。

再びポンペイの落書きを考える(浦崎)

●世の中の流行り廃りなどということに敏感な人々は多い。しかしこと人間についていうと、古来から全く変わっている形跡がない。ソビエトが崩壊した後は前進などという学者もいなくなったせいだろうか、小難しい論陣もなくただ生々しい人間だけが存在しているといったほうがいいのかもしれない。
●10年に一回程度のペースでイタリアの街ポンペイを訪問している。廃墟を廃墟として眺める人は多いのだろうが、個人的には落書きばかり見ている。訪問する度にラテン語で書かれたその落書きの翻訳文が増えているから、奇妙な旅人の関心はいつも満たされる。
●楽しいのは現代のSNS・インターネットやテレビ、小説・雑誌・マンガの類とたいした内容の変化がないということだ。お金の問題、男女関係の込み入った噂話、政治への不平不満などなどである。中には日本で女性誌の編集者にでもなれるのではという魅力的な落書きもあって、何日いても飽きることがない。
●しかし現代と寸分変わらぬなどという感想には、少々悲しみも禁じえない。ITやインターネットなどが進んだところで、あの落書きが世界中に拡散するだけではないかなどと興ざめしてしまうからだ。実際SNSなどというものが登場したので結構な頻度使ってみたが、ポンペイの落書きと何の違いもない。自慢・宣伝・嫉妬・恋愛・マネーなど無秩序な呟きが無制限に流れている。騒がしいといったほうがいいかもしれない。
●良いとか悪いというものではないだろうが、変わっていないものを進歩していると思い込むのもばかげている。facebookやtwitterなどというのは要するに巨大な落書き帳で、それ以上でもそれ以下でもない。面白いけれども別に新鮮というわけでもない。何だか気負ってインターネット・ITの時代云々と枕詞をつけずに、いやいや単なる落書き帳ですよ、といってもらうほうがわかりやすい。
●然様に歴史を2000年眺めてみると、確かに技術は進歩したかもしれない。しかし当の人間はたいして進化しもいない。従って人間のこころに注目している私にはやはり面白く感じる。歴史という時間を超えて、光輝く文章とそうでないものはポンペイも現代も同様なのである。時間を問わず光彩を放つ落書きには、それが無名のポンペイの青年が書いたものであっても、喝采を送り続けるばかりである。人間の愚かさと素晴らしさの双方の原点がポンペイにあるから、その落書きを読み、改めて人間を知るために、私は今年もイタリアを訪問する予定である。