モンテ・ディ・パスキ銀行のこと(ゲオルグ)

●昨日のイタリアの国民投票をじっくり観察しました。結果は否決のようですが、難題が山積している中で安定した政権運営ができるか、という一点が重要です。特に世界最長の銀行モンテ・ディ・パスキの不良債権問題がくすぶっている中では、下手をするとドイツ銀行の不安を超えるリスクを、世界に与えかねない。関係者がそう考えているのは間違いありません。
●このモンテ・ディ・パスキですが、設立は1472年なので、約500年間事業を行っています。日本に例えれば、室町時代から銀行をやっているわけなので、大変な歴史です。しかし2000年を境に拡大を図っていく中、リーマンショックに直面。一気に不良債権が山積みとなり、倒産危機が囁かれる現在を迎えています。
●2000年前後というのは、グローバリズムを目指して世界中の金融機関が、変革を図ろうとした時期です。この銀行だけではありません。ドイツ銀行もそうですが、いずれも投資銀行業務に乗り出したり、リスクの高い債券を大量に購入したりという行動をとるわけです。今までの通りでは利益がでない、さてどうしようと考えあぐねる中での決断で、個人的にはあまり責める気にはなりません。当時の潮流は圧倒的にリスク選好的な状態だったからです。
●しかし、現在まで処理を先延ばししてきたつけなのか、今や世界中から名指しでリスク要因と指摘されていますから致し方がないことです。現在計画されている債務の株式化に債権者側が応じるのかどうかという微妙な時に、政権が不安定化しているという事情もあります。オカネは非情なので、コントロールを誤れば、500年の歴史は一晩で幻になってしまうでしょう。
●トランプさんが当選してから、アメリカの中小型の異常な騰勢やドルの独歩高(新興国の通貨安)、株高・債券安(国債利回り上昇)と、オカネに妙な勢いがついています。こういう時には、ちょっとした出来事でも過剰反応も起きやすく、嫌な予感だけが頭を駆け巡ってしまっていけません。個人的にはおとなしく趨勢を眺めますが、もちろんイタリアのことは注意深く見ていこうと考えています。

ロンドン五輪になでしこの凄さを見る(ゲオルク)

●今回のオリンピックのマイ・ブームはなんといっても”なでしこ”です。去年のワールドカップはなんとなく人づてに聞く程度で試合を十分に見ませんでした。ですから今年日本のテレビチャンネルで頻繁に流れる映像を通りすがりの喫茶店などで目撃してずいぶん驚きました。
●欧米などに比べれば身長であれだけ差があるにも関わらず、体力・持久力の高さで他国を圧倒しているのではないでしょうか。特に宮間と澤のプレイにはある種天賦の才を感じます。時間と空間をどのようにコントロールするのかをこの二人は知っている、私はそう思いました。
●実は私の祖国もサッカー熱の高い国でしたが、体が大きいとか足が速いというようなことではなく、天才的才能というのは、”時間と空間を占有して思い通りのスポットに動的に球を出すことだ”と或るコーチから聞いたことがあります。現実の空間というのは、写真のような静的な二次元ではなく、常に時間と追いかけっこをしている三次元空間なのです。それを見事にコントロールする選手というのが、この二人ではないかと思うのです。
●特にフランス戦での宮間選手については、敗れたフランス選手への心配りとチームメイトへの言葉の出し方という観点で、ある種の一流選手の風格を感じます。母国の選手にたとえればベッケンバウアーに対する尊敬と同様の感覚を覚えました。所謂”よい子”的な挙措ではなく、シビアた戦いを乗り越えた後だからこそ分かち合える、対戦相手への思いやり・・・、そういうものに感じられるのです。
●私はそういう意味で、まだなでしこが決勝戦を残しているということをすっかり忘れていました。紛々と漂う王者の風格のようなものが既に十分すぎるほど観客を魅了しているからです・・・。勿論アメリカとの戦いにも勝利してほしいのはほしいのですが、今オーラのようなものを発して多くの人に感動を与えているなでしこの姿だけで、沈滞した世界・日本は十分すぎるほどプラスの刺激を与えられると思います・・・。多くの日本人と同様に私も今月は寝不足と深夜の熱狂という時間を繰り返しています。

ペール・ギュントの帰郷(ゲオルグ)

●イプセンの戯曲ペール・ギュントは子供の頃教訓じみたお話の一つとしてよく学校の先生に紹介されたのを思い出します。しかし、自由奔放なペール・ギュントはその時代の私のヒーローでもありました。元来の恋人を奪取するもそれに飽き足らず、別の女性に恋に落ちる。足元の怪しい商売に手を出して金をもうけたかと思うと、無一文になる。ありとあらゆる類の放縦、倫理的とかそういう枠組みを軽々と乗り越えていく自由な気分というのは、親の絶対庇護の中にあってとても魅力的な存在であったのです。
●しかし、晩年に故郷に戻り、子守唄を聞きながら死を迎える最後のシーンには、何だかつまらないなという印象がありました。ともかく好き勝手にふるまっても、最後は老いて土に還る。何だかアリとキリギリスを養育係の叔母から寝物語に聞かされるような感覚で、なんだか腑に落ちなかったわけです。最後まで好き勝手に、徹底的に自分勝手に生きるペール・ギュントであってほしいと思ったものでした。
●そういう私がふるさとの欧州を離れて随分と時間が経ちました。すっかり中年です。年老いたわけではないのですが、これから少しづつ老人に近づいていきます。ペール・ギュントと寸分変わらず、気の向くままに生きてきた私も時に酷使してきた膝が痛んだりするわけです。世界は自分の庭だといわんばかりに、東西南北自由に旅して、あちこちの場所で好き勝手に住んで仕事をしてきた私にもある限界が見えてきたということです。なんだ俺も年老いたかと軽く思える人もいるのでしょうが、今更欧州に帰ってシコシコ故郷でジャガイモを食べ続ける生活に戻るのもなんだなあと、私個人は明るく受け入れる気分にはならないのです。もう一花、いや二花、極東の国で一発何事かを成し遂げたい、そんな野心があるのです。
●そんなことを考えているところで、私が思い出したのは、ペール・ギュントの帰郷のシーンです。なんだか不愉快極まりないお説教めいたシーンにしか見えなかったその場面が、なんだかリアルに自分自身に重なって見えてきます。とんがってあれこれやってきたというほど、これといった業績もなく、善人でもなく、また悪人でもない。要するに中途半端に普通の人間でしかなかった。それはペール・ギュントだけでなく、自分もまた同種の凡人なのだ、という具合です。受け入れてしまうとなんだかとても寂しい物語に見えてきます。しかしある意味現実なのかもしれません。
●毎日朝があれば晩がある。若い時代があれば年老いた時間もある。ただそれは終わりではなくて、次の始まりかもしれない。そういう考え方を私はアジアの人々から学びました。ペール・ギュントらしく最後まであれこれあがいて終わりを迎えても、再び朝が来る。まあそういうものだという気もします。グリーグの作曲した組曲の朝の部分を時に真面目に聴きながら、私は故郷へ還る夢をみます。いつどのようにかえって、その次は果たしてどうなっていくのかというのは、ある意味楽しい悩みであるのかもしれません。

ギリシャ危機を起点に統合という思想を考える(ゲオルグ)

●ギリシアという国の国家的危機は世界経済の目下注目するところのようです。ドイツやフランスのような大国だけでなく、チェコのような小国にさえ、ギリシアがユーロ加盟国であることについて違和感があるということです。経済的に自立性に乏しい国をEUに加入させてしまったということと、その結果他加盟国の負担が増してしまったという部分で、不愉快な感覚が加盟国の国民に蔓延しているということでしょう。
●しかし、元来の趣旨から考えれば、第二次大戦後に大幅に劣勢になった欧州の地位向上をキーワードに設立された連合組織であるわけで、今更何をという気がします。根本的に統合よりも、分離・独立或いは独仏連合のような形の方が望ましいという風にも聞こえます。改めて今後のあり様を考えるべき時期なのでしょう。
●統合というキーワードについては、欧州だけでなくもう少し他の国の事情も眺めてみましょう。ロシアではプーチンがCIS諸国の統合ということを真剣に考えています。これはある意味旧ソ連邦への回帰というように映ります。また大阪では、大阪府知事だった橋元氏が大阪都構想という公約を掲げています。分散化しているよりも統合の果実を享受できるということのようです。全てが均等に同様の条件でないので、 十把一絡げにした議論は適当でないのですが、まあざっくばらんな印象としては、政治家の妄想的見解の域をでないというというように映ります。統合した結果少々効率化が図られるのは結構なのでしょうが、反面リスクや危険は拡大するし、少数民族や特特定地域にとって不都合な状況が出てくる可能性が高まるわけです。そんなことにいちいち右往左往させられるよりも、個々人や最低限の組織単位で家族・或いは企業、市町村の足腰の強化の方がより重大なテーマであるように私は思います。
●大真面目に議論を始めると、統合か分散かというテーマは収束不能なテーマではないかと思います。しかし組織化の手法だけで解決する問題はごく一部ではないのかと私は思います。問題のある個人、地域、自治体の問題は各々の単位で問題解決を図る努力をすることがまずは第一義的に必要なことなのだろうと思うのです。覇権的な思考回路でファッショ的に動くことで問題解決を図るのは時限立法的なものにすぎないでしょう。統合・統合と騒ぎ立てる政治家に私はいつも不愉快の念を強くしている次第です。

イギリス風或いはオーストリア風に、果敢に一歩前へ(ゲオルグ)

●長い間いろいろ現実に翻弄されてきますと、人の心というものは、痛みを伴う決断やリスクから無意識に遠ざかろうとする傾向が強くなってきます。ただ全ては過去であって、過去から学ぶことはあるにせよ、過去に縛られてもいけないと常々考えるようにしています。
●これは私も例外ではなくて、失敗したことばかり考えて、一年近く世界を放浪して、各国でさまよえるドイツ民族の一員として、ふらふらただ生きていた時間もあります。勿論風光明媚な場所を訪ねて何事かを知ったりすることもあれば、ポーカーやブラックジャックで生活資金を失い、転げ込むようにウィーンのイギリス人会社員の家庭に書生のように寄宿していたこともあります。そういうことはまあ人生の中では避けがたく、一定期間あるものだなあと今は考えております。
●そんな時代に家政婦として働いていた(ある意味同僚の)老婦人が新年にコンサートに行かないかと誘ってくれたことがありました。毎晩タバコをすって街を徘徊し、ウイスキーやバーボンを飲んでひっくり返っている私のような自堕落な若者を見て、きっと何かを感じたのだろうと思います。”アメリカに住んでいる孫があんたに良く似ててね”とよくその老婦人はいっていたのですが、一向に訪問してくる気配のないその孫に”何かをしてあげなくちゃいけない”という気持ちがずっとあったのだとよくしゃべっていました。
●当時既に七十近い老婦人が誘ってくれたときに私が聴いたのは、”威風堂々Land of Hope and Glory)”と”ラデッキー行進曲Radetzky-Marsch)”でした。英国風であれオーストリア風であれ、何か戦争自体を鼓舞したりしている音楽であるように思っていた私には、子供時代からどこかに抵抗のある作品でした。当時はまだまだ東西ドイツが存在していたり、ナチスの罪は全ドイツ人の罪だなどとどこへ行っても聞かされてうんざりする時代でしたから、戦争に繋がるものには全てアレルギー反応が生ずるような教育が施されていたといっていいでしょう。
●ただ誰が演奏しているのかもよくわからないような楽団が演奏するその曲を何度も聴いているうちに、私にはとにかく何か具体的な一歩、日本風に言えば”とにかく前へ”というような気持ちがふとこみ上げてきました。ただただ無力でいてはいけないのだと。老婦人と二人でいったコンサートで何かを知った瞬間でした。単純すぎることなのかもしれませんが、とにかく辛くても一歩前へ出ることしか、穴に落ちた自分にはやるべきことはないのだと改めて知ったのです。
●あれからかなりの時間がたちました。老婦人とはその後会っていませんが、私の人生は大きく変わりました。今がベストかどうかは知りませんが、やはりもう一歩前へいくべきなのだと今も考えています。大好きな仕事をし、愛する家族を守る、或いは大好きな女性には愛の告白をすべきなのだと・・・。日本にいる同じように苦しんでいる人々には、ひょっとして私の感じたイギリス風、或いはオーストリア風の行進曲がひょっとしてなじむことがあるかもしれません。

私の二十代はマルセイユのマリアンヌと過ごした夏に凝縮されている(ゲオルグ)

●今マリアンヌはどうしているのだろうと思います。まだMarseille(マルセイユ)のあの小さなアパートの六階で、秋になった地中海を一人眺めているのだろうか、或いは全く別の人生を歩み、彼女の言う”心に響く何か”を掴み、新たな一歩を踏み出しているのだろうかということを、ふと考えるのです。
●その時の彼女は既に三十代後半で、私はちょうど二十歳の得体の知れない若者でした。マリアンヌの弟ミシェルと、前年アテネのPlace Syntagma(シンタグマ広場)で知り合いになった私は、春先に別れた彼女のことを忘れるために、何となく旅に出たのでした。ミシェルの手書きの住所だけを頼りに、夜のマルセイユについた私は、その住所にマリアンヌが一人で住んでいることは知らず、ドアをノックしたのです。
●長いブロンドの髪に、青いタンクトップ姿のマリアンヌはとても美しい女性でした。すらりとした長い足を組み、シャンパンとワインを飲んでいる彼女は、私にとって未知の大人の女性でした。若い私は、彼女ととめどない話に夢中になり、思いがけず酩酊しました。
●ソファでだらしなく転寝をしている私の横で、マリアンヌは突然服を一枚づつ脱ぎだしました。意味もなくおかしな光景でした。部屋には彼女の好きなNina Simone(ニーナ・シモン)の曲が流れ、コンサートに言ったことがあるという彼女は、晩年のシモンのゆっくりとした足取りをまね、その曲に合わせて踊るのです。マルセイユの海はもうすぐ秋になろうとして、海風が少し冷たく感じられた晩でした。
●私は彼女を抱きました。特別な意味はありませんでした。水平線の向こうのアフリカ大陸や、トラを飛ぶカモメのことを思い、イルカのように海で戯れている気分でした。ただ彼女は違いました。ボトルを何本も開けて、すっかり酔っているには違いありませんが、何かを受け入れたわけでもなく、ただ呆然と暗闇の中で、時折光を拾う海面をただじっと眺めていたのです。
●一体何を彼女は考えていたのか、当時の私にはよくわかりませんでした。意味もなくマルセイユに長逗留し、約一ヶ月もそういう生活を繰り返していたにもかかわらず。ただ何かが欠落していて、無性に何かを求め、結局何も存在しないということを確かめるという結果になっていたような気がします。
●私がマルセイユから再びベルリンへ戻るとき、彼女は駅まで見送りにやってきました。カフェでコーヒーを飲みながら、彼女はまたタバコを一本吸いました。そして実は自分は障害児向けの学校の教師をしているのだといいました。たくさんの子供たちのために生きていきたい、彼女は確かそう言ったと思います。何故そこでそんなことを私に話す必要があったのか、私にはよくわかりませんでした。ただ海がめのように、彼女と海中で浮遊したあと、海上に浮上して共に空気を胸いっぱい吸い込んだような、妙なすがすがしさがありました。混沌から別の何かを求めてさまよい、再び自分自身に戻った、そんな印象でした。
●以来、マリアンヌにも、ミシェルにも私は会っていません。マルセイユには何度か立ち寄りましたが、彼女の住んでいたアパートには既に別の家族が住んでいました。それは、どうしようもなく若くて傷つき易かった二十代の私自身がそこで終わり、そこで密閉されているからかもしれません。特別の懐かしさがあり、彼女の使っていたジバンシーの香水の匂いとともに、思春期の最後の時間がそこにあるように思うのです。同時に、大人になって、時に意味もなく虚無感に襲われる私には、あのときのマリアンヌの姿が、今の自分と多分に重なって見え、彼女の中にあった複雑で深遠な混沌、そして、ニーナ・シモンの歌声を思い出すのです。

マルクス・ヴォルフの死~旧東ドイツの終焉を想う(ゲオルグ)

●4月23日のエリツイン元大統領他界に関する記事は旧東側諸国の急旋回の時代が静かに終わりつつあることを改めて示唆するものであった。ロシアは豊富な石油資源を手がかりに、中国・インド・ブラジル等とともに世界の成長セクターを担う存在となり、スーパーの店先に陳列する商品がないという旧ソビエト時代の悪夢のような光景はもはや過去の遺物となった。
●旧東側に所属した国々のなかで旧東ドイツの存在も忘れがたい。ベルリンの壁が崩壊するまで継続した一党独裁の体制は衛星国でありながら、本家本元であるソ連を凌ぐほど堅牢なものであった。既に故人であるホーネッカー元書記長(1994年没)、ミールケ元国家保安省長官(2000年没)などの人物に加えて、昨年11月には秘密警察(シュタージ)の対外諜報活動部門のリーダーを長年務めたマルクス・ヴォルフが他界した。冷戦時代の諜報合戦の主人公であり、かつて一世を風靡したスパイ小説の象徴的存在である。
●かつて”スパイ”という言葉には、世界に存在する主要な機密事項を独占的に支配する管理人として、わたくしの知的関心を喚起する響きがあった。西側の一員である日本に住む一人の気楽な学生としては、娯楽小説のネタを無限に生み出す打ち出の小づちような存在に見えた。また陰鬱な東ベルリンの街角で、目に見えない糸を使って畏怖と脅威を操る影の支配者のような印象を与え続ける存在でもあった。
●ベルリンの壁が崩壊したあとに公衆の面前に引きずり出され、浴びるはずのなかったスポットライトに素顔をさらすことになったヴォルフの姿は、わたくしの中にあるスパイ小説の終わりを示唆する光景でもあった。神秘の扉がひかれ、恐怖の対象が白日のもとに晒されたことで、名実ともに後期全体主義が終幕となったのだと思った。わたくしにはそんな記憶がある。
●11月のヴォルフの死は、旧東ドイツという国の主要な登場人物がついに舞台を去ったという印象をわたくしに与えた。新生ロシアと異なり経済的にはいまだ諸問題を抱える旧東ドイツだが、組織社会の要である人間の質は確実に世代交代し続けているのである。旧人が去り新世代が世の中に出てくるとき、旧東ドイツ地域からどのようなものが新たに出てくるのだろうかと、いろいろ考えた次第である。