耳元で囁くパブロは天使なのか悪魔なのか(イレナ)

●子供の頃よく不思議な夢をみました。不思議という意味は、全く自分自身に関係のない見ず知らずの人物や風景が登場するということです。アフリカやアジアの見知らぬジャングル、氷に閉ざされた南極海のような場所から、アラビア半島の夜の砂漠など、凡そ海外にも一度も言ったことがない十歳に満たない女の子が想像することができない光景でした。
●しかしある時から夢を見なくなりました。ボーイフレンドのことや家族のこと、切羽詰った状況にあった仕事のことでさえ全く現れず、頭の中にあるスクリーンはずっと真っ暗でした。そのような状況が10歳から20年程度続きました。
●それが昨年のことです。寝苦しい熱帯夜明けの早朝、目覚める直前に突然耳元で囁く声を聴いたのです。その声を聴いたから目覚めたのか、目覚めた瞬間に夢の一コマがプレイバックしたのかは判然としませんでしたが、”Pablo, Pable, Andalucia ..”という男性の声だけが、明瞭でない意識の中に刻み付けられました。映像のない音声のみでまるで聴覚テストを受診しているような感覚です。
●翌日仕事をしながら考えてみましたが。パブロという名前は男性のスペイン語の名前で、私の知人にはいませんし、故郷ポーランドにも全く関係がありません。仕事上の仲間に気軽に質問するにはスピリチュアル過ぎる内容なので、その週末にカトリック教会にいる友人に電話で聞いてみました。すると名前を複数回連呼するのはその名前を忘れるなという趣旨で理解すべきだろうということ。加えて、記憶にとどめておけという意味からして、何らかの霊的な存在、例えば天使もしくは悪魔のようなものではないだろうかということでした。
●悪魔という言葉を宗教関係者から聞くと、私も内心穏やかではありません。また忘れてはならないという言葉の背景を考えると、私自身に何かが憑依しているような気さえしてきます・・・。それ以上あれこれ考え始めるとどうにも落ち着かない気分になるのが嫌だった私は、以来このことを考えるのを封印していました。
●しかし先週仕事の都合で突然コルドバへ出張することになりました。スペインへ行くときはせいぜいマドリードだった私からすると、少々運命的な予感を感じさせる出来事です。昨年聞いたアンダルシアという言葉を私は再び思い出したのは、そのような事情からです・・・。自分の予定表に次々に追加されるコルドバの地名と人物名には今のところ、パブロという名前は出てきていませんが、真夏の二週間に一体何が起きるのか今から不安でなりません。
●週末散歩しながらあれこれ考えました。この数年間に自分の身に起こった出来事、離婚そして娘との別れ。父の死。アルコールと断酒。仕事上のトラブル、そんな出来事の全てを、アンダルシアのパブロと名乗る男性がそばにいて、じっと凝視していたのかもしれない・・・。そんな根拠のない想念が頭を駆け巡りました。天使なのか悪魔なのかわからない何者かとのコンタクトを思い描きながら、私は月末の出張の準備を、今も淡々としております・・・。

江戸時代の女性はどうやって成仏したのか(イレナ)

●貝原益軒の女大学の英訳をたまたま友人からもらいました。読んでみると、現代でもたまに目にする女性に対する偏見の原形のようなものがあって、興味深く感じました。しかし、貝原益軒といえば、平等思想の持主と思っていたのですが、この本からすると、女性に対しては完全な蔑視思想の持主で、深くため息をついてしまいました。
●そういえば先日高野山の関係者と話をする機会がありました。何も知らない外国人からすると、女人禁制というのは違和感がありますというと、伝統ですからというような柔らかい答えが返ってきます。ちょっと割り切れない気持ちになったので、中立的な宗教学者の知人に詳しく聞いてみると、仏教は日本にやってきてから、儒教的なものと共生をはかる狙いもあって、女性を穢れとし、所謂”悟り”や”成仏”も得られないもの、と位置付けてしまった経緯があるのではないかとのお話でした・・・。原点となるインドのゴータマ・シッダールタの言葉には存在しない概念が、勝手に混入している日本の仏教というものが、何とも疎ましく思える瞬間でした。
●この点明治になって福沢諭吉の書いた新女大学は、益軒の書いた女大学に対するアンチテーゼとして書かれた分、内容的には比較的違和感がないのですが、私が関心を持った宗教上の位置づけに関する記述はありません。いわゆる女性の救いやこころの問題は、明治以後も捨て置かれたような気がして、何とも落ち着かない気持ちになってしまいます。
●ただキリスト教やイスラム教が進んでいるかというと、そういうわけでもありません。キリスト教では、さすがに女性が天国にいけないとはいいませんが、バチカンの教皇に女性が選ばれることはありません(正確にいうと、伝説の中で男装の女性教皇がいたというものはありますが例外とします)。そういう意味では、日本の仏教がどうかという問題よりも、2000年近い歴史をもつ宗教関係者の、頑迷な保守性が問題なのかもしれません。
●日本ではようやく女性活躍社会の実現というテーマが政策課題にあがるようになっているようです。しかし個人的には、女性のこころの問題を取り扱う、宗教関係者の保守的な壁のようなものを、早く撤廃してもらいたいものだと考えております。 いろいろな国を飛び回っているにせよ、ふと日本で寿命が尽きたなら、一体どのお墓にはいるべきなのか、今の私にはわかりません。

母親の愛情と時間(イレナ)

●母親の愛情は深い。ISSは兎も角、カフカス地方のテロ事件などからいえば、息子を失った黒服の婦人が自爆テロを行っていることが多い。テロの源泉は人間の愛情だと思う。
●子供を持つ親なら・・・というセリフをよく日本の街角で聞く。殺人事件の犯人は、その趣旨に沿えば、刑死に値するという意味に聞こえる。悲しみも憎しみも否定はできない。しかし人間であるから、その犯人にも家族がいる。犯人の家族の前で、同じような趣旨で、口から泡を飛ばして、責任を追及したりすることは、私にはできない・・・。
●しかしだからといって、法的な観点から、この負の連鎖を、第三者面をして、不幸だからやめましょうと軽々しくいうのも、何か違う。失ってしまうということは、潜在的なエネルギーも加算されるから、元来の愛情に倍加したエネルギーが蓄積される。直線的に、はいそうですかわかりました、とはならない。仮に、人前でそう言い放ったところで、夜になって、出口のない苦悶をずっと味わうことになる。
●解決という言葉がある。アメリカの大統領選などをインターネット中継で眺めていると、テロは排除すればすぐに解決すると聞こえる。しかし先に述べた関係からいけば、排除すればするほど、次なるテロの種がまかれる。息子を殺された母親がいなくならない限り、テロは解決されないとしか、私には思えないのだけれど・・・。
●政治家や官僚、マスコミの人々には、どこか感情の理解が欠けている。テロの深い部分に、母親の愛情があるとすれば、どれだけ努力しても、フランス語でいう世代サイクルで、30年は最低限時間がかかると思う。目先の解決ばかりを見て、母親の子供への愛情という、霊長類固有の、長い歴史のある本能を無視してしまうと、そのサイクルは何世代にもわたることになりかねない・・・。
●アメリカ大統領選挙を、偶然だが、はるかに遠いドイツのハーメルンで見た。有名な笛吹男の街である。800年近く前の、子供たちの大量失踪事件が、童話作家グリムの手を経て、なお世界中の人々の記憶の中に残っているのは、たぶん当時の母親たちの喪失感そのものが、長い年月を超えてなお強く滞留しているからではないか。私はそう考えている。

人生のあらゆる光景がオーダーメイド(イレナ)

●パリのオートクチュールの店にいったことがあります。とても高級なブティックなので、外国人の私が一人ではなかなか入りにくい場所でした。店の従業員とたまたまアパルトメントが一緒だった経緯もあって、ある日私は店先に座ってお茶を飲みながら、友人や訪れる資産家のご婦人方と何度か話す機会がありました。
●話題はこれといって特別なものではありませんでしたが、服やデザインに対する並々でない情熱を最後まで私は感じたので、そのことについて友人に岐路話すと、友人は面白いことを言いました。・・・だって人生そのものは、みんなオートクチュールでしょ・・・、既製服でいいっていう人生は、資産のあるなしに関係なく、どれひとつ存在しないんだから。
●確かにそうかもしれません。値段の高い安いは本質的に別問題です。社会の”一般的な”カテゴリーで評価されるようなもので、人は自分の人生を築きあげたいとは思わないでしょう。自分らしさをとことん追及して、完全オーダーメイドで自分自身の服装を、そして人生を装いたいに違いありません。独善的といわれようが、徹底的に自分らしく・・・、それがオートクチュールなのだと私も考えるようになりました。
●パーティーで一見して引き立つ自分のドレス、自分らしさ。虚栄心というよりも自己主張。それはアイデンティティの問題でしょう。誰と結婚するか(或いはしないか)、どんな仕事を選ぶか、どこに居住するか、そして何を社会で実現するのか、その全てがオーダーメードであるべきなのです。
●時に自分自身がわからなくなるとき、安直に既製服を着て済ませようという時間もあるでしょう。ひょっとすると既製服の方が居心地がいいと思うことさえあるかもしれません。しかし既製服で収まりきらない自分らしさを見つけてしまう人は、躊躇せず殻を破るべきではないか・・・。一斉にリクルート・スーツを着込んだ若者たちが企業を訪問する姿を眺め、丸の内近辺でコーヒーを飲んでいた私は、ふとそんなことを考えてしまいました。

イスラム国とキリスト教社会を考える(イレナ)

●以前子供を生んだばかりの友人が、子供を失ってしまったら、自分がどうなってしまうかわからない、といいました。それだけ愛情が深いということでしょう。反面、憎しみと狂気が生じた場合、悪魔の手先にでもなってしまいかねないということでもありました。そんな話をきいているうちに、悪魔というのは実は、もともと愛おしく子供に接するマリア様のような女性ではなかったのかと、ふと考えてしまったことがあります。愛情が深くない人間が、それほどの憎しみと狂気の渦にのみ込まれるはずがないと思うからです。
●話をちょっとかえましょう。私の生まれた国ではドイツ人嫌い・ロシア人嫌いという風潮があります。歴史的に両国に占領された時代があるからです。子供の頃にドイツ兵やソビエト兵に蹂躙され両親を殺された人にとって、両親への愛情はすなわち両国への憎悪の記憶になるのです。簡単に否定できる感情ではありません。しかし青年になって海外へ出かけるようになってから、ふと別のことも考えるようになりました。それは、ことユダヤ人迫害ということについては、自分たちもドイツ人やロシア人たちと同じだということです。被害者であった事実は何世代にもわたって記憶しているのに、加害者であったことについては簡単に忘れてしまう。それが実は人間の本質ではないか、ということです。
●惨劇は愛情を憎悪に変えます。加害者であったことは都合よく忘れて、被害者の感情だけが滞留します。憎悪は果てしない負の連鎖を生むと考えると、聖書に登場する悪魔というのは人間自身をさしている、と解釈すべきではないのかと、最近つくづく考えるようになりました。論理的には、原点にある愛情さえなければ、憎しみも生じないことになりますが、それは一方で人間にとって不可能なことでしょう。本質的に愛情を人生の糧とする、人間社会のガン細胞が憎悪であると思うのです。
●現在イスラム国で起きていることはどのように解釈すべきでしょうか。欧米のテレビでは盛んに悪魔の仕業といっています。しかしイスラム国もキリスト教社会を悪魔と呼ぶでしょう。古くは十字軍に始まり、英国の国境線策定、湾岸戦争、イラク戦争を悪魔の仕業と定義しているのではないでしょうか。お互いに悪魔呼ばわりをしているということは、裏返せばお互いにかつて愛情の深い良き家庭人であったということでもあるわけですから、大変残念な気持ちになります。お互い加害者であったという事実を深く捉えて、自省する時間が必要なのではないかと考えています。憎しみでわれを忘れるということ自体が、悪魔の仕業であって、聖書やコーランの教えている罪なのではないかと私は思います。

贋作作家が世に叩かれても世間に示すことができるもの(イレナ)

●日本に久しぶりに帰ってきました。温かくて気持ちのいい春の風を感じて、帰国早々一日自転車にのって都内をあちこち走り回ってきました。二子玉川から羽田空港に向かって川沿いを走ると、時折桜の花びらが吹き付けてきて、ああなんて幸せなんだろうと実感がこみ上げてきました。
●東京へ戻ってきて驚いたのは、STAP細胞に関するテレビ中継です。何のための公開討論なのかよくわかりませんが、結論として理解できたのは、画像には加工したが、悪意はないから罪はない。また根拠や証拠は何一つないけれども、STAP細胞は存在することを確信している、ということでした。
●刑事上の罪はないかもしれませんが、画像に加工を施した研究成果を評価する人もいないでしょうし、根拠もなく稀代の発見をしたと叫んだところで、賞賛する人もいないのではないでしょうか。厳格な世界の研究者たちの常識から考えると、一体この人は何をしたいのだろうと、素朴に思ってしまったのです。
●私はこの会見を聞きながら、日本の瀬戸へいったときに知った、永仁の壺事件のことを思い出しました。1960年に起こったこの事件は、埋蔵物として発掘され、その後文化財認定を受けた壷が、実は陶芸家の加藤唐九郎先生が作ったものだということが明らかになった事件です。これも言ってみれば偽造・粉飾の類に属する事件です。しかし文化財だったかどうかはともかく、壷自身のすばらしさは当時の文化庁関係者や専門家をうならせたわけで、一時的に加藤先生は随分と世の中から叩かれましたが、結局その手腕の卓抜さについて評価が高まる結果となったのです。
●今回の事件を、当事者は何をどこに持っていくべきなのか、冷静に考えるべきでしょう。真贋を問われた研究を従来通り研究所で行うことができる可能性は殆どありません。懲戒解雇を回避できても、研究の本来業務に復帰できる可能性はないでしょう。加藤先生の事件になぞらえて考えるなら、STAP細胞自身が本当にあるのだということを証明するほかありません。確信しているというのなら、マスコミの前で会見するよりも、再現実験の成功事例を明らかにするか、研究所の再現実験にもっと積極的に協力するほかありません。手段や経緯はともかく、仮説を導き出す或いは見抜く能力を世間に証明する以外に、光明は見出せないと考えるべきではないでしょうか。

戸籍のない日本人の物語(イレナ)

●日本の戸籍に注目していたことがあります。日本と中国にしか存在しない戸籍という制度は、キリスト教徒から見ると教会の洗礼記録のようなものではないかと思い込んでおりました。しかし、実際に運用しているのを日本でみると、一体何が目的なのかと改めて考えてしまいます。
●似たような話ですが、私が初めて日本に来たときに、留学先の学籍簿に宗教を記入せよといわれたことがありました。欧州から来た人間からすると、ナチスのユダヤ人迫害といった政策を実行する際に用いたやり方と重なって見えますから、その点について問いただすと、すったもんだもせずに、記入欄から宗教の欄が取り除かれることになりました。軽い気持ちで学生に属性を質問するにしては、あまりに軽々しく、これといった強い主張も感じられない学校側の姿勢でした。あまりに不愉快だったので、ついでにスリーサイズを記入する欄も検討してみたらいかがですかと皮肉をいったものでした。
●話を最初にもどします。戸籍という制度を決して意味ないものとは思いません。しかしお寺の過去帳やホテルの宿泊人名簿などと違って、まちがって記載することはできないという建前になっているので、個人情報の保護などや迷信・偏見などの意味で却って不都合だろうと思っていました。よくある外国人の疑問の範疇です。
●しかし、ある日島原・天草を旅していたときのこと。現地の老人から興味深い話をききました。昭和のはじめころまでのことのようですが、戸籍を持たずに生活をしている人が、何人か実際に存在していたということでした。目的は徴兵を回避するためだったようです。欧米諸国を含めて世界では普通にある話なのですが、日本人というと国家のためにすべてをささげるというやや狂信的な印象が強いので、ちょっと衝撃的なことでした。
●ただ聞いていると段取りは非常に簡単です。生まれたときに一応役所には出生届けを提出する。しかし数週間以内に、まもなく死亡したことにする。ちゃんとお墓も作って、証明書も発行してもらう。まあそんな内容でした。死んでしまっているわけなので、学校にも行かないし、税金も払わない。もちろん徴兵はされない。船に乗って漁師をしているから、地元の村ではみんなが知っているが、それを特別咎める人はいない。そういうことでした。
●面白いのは結婚と子供たちの扱いです。きちんと結婚式はするが役所には教えない。ただ子供は生まれるので、再び戸籍なしというわけにもいかず、戸籍を持つ親族の私生児にするか、養子縁組を行わせるというもの。実質的には親子揃って生活しているが、戸籍上は無縁な存在となっているというわけです。私のようなへそ曲がり外国人からみると、こういう日本人のほうが何だか親しみがわくというか、普通の人間に近い存在に見えて、なんだかとても楽しくなりました。
●マスコミや歴史家たちが勝手に作り出した、純粋で国家第一の日本人像ばかりが、テレビ番組や三流小説に登場しているのは、個人的に極めて気持ちの悪いものでした。しかし、辺鄙な農村で、その地域の共同体を守り抜くために、中央の戸籍制度なしに人生を全うした人間たちがいたというのは、何だかほっとした気分になったのです・・・。本当の日本人の姿を正しく見つめなおすためには、やはり徹底的に周辺も見つめなおさないといけないと、改めて思いました。

エリック=エマニュエル・シュミット作品を堪能する(イレナ)

●最近一番好みの劇作家は、エリック=エマニュエル・シュミット(Eric-Emmanuel Schmitt)です。パリに行くたびにこの人の芝居を思い出しますし、ニューヨークやロンドン・東京で観劇したり、映画を見たりしても、この人の作品に比べるとちっともおもしろくありません。要するにすっかりエリックの虜になってしまっているのです。
●それほどお金をかけているわけでもなく、プロットが奇抜というわけもないのですが、どの作品もとても斬新な印象を受けます。幸福感に満ちた芝居の組み立ての中に、人間の感情表現を微細に表現しつくそうという作家の魂があるのを感じるのです。
●その内容の卓越さは芝居だけでありません。映画作品もすばらしいの一語に尽きます。日本でも公開された”イブラヒムおじさんとコーランの花たち(原題:Monsieur Ibrahim et les fleurs du Coran)”や”100歳の少年と12通の手紙(原題:Oscar et la Dame rose)”、”地上5センチの恋心(原題:Odette Toulemonde)”は、自分のiPADの中に入れて持ち歩くぐらい好きな作品です。
●先日飛行機の中で”地上5センチの恋心”を視聴していると、隣にいたイギリス人のご婦人から、”私もエリックは大好きよ”と話しかけられたことがありました。主演のカトリーヌ・フロ(Catherine Frot)に目がいってしまいそうになるのですが、エリック特有のダイレクションはパリやロンドンでも大人気なのだそうです。私自身もハリウッド作品のように、おれでもかとお金をかけたものや、日本でしか理解されないガラパゴス作品のようなものに比べて、落ち着いて眺められる普遍的価値を感じます。
●年末から新年は実家への帰郷をかねてまたパリに出かけるつもりです。エリックの作品をどこかで観られないかとあちこちインターネットで調べているところですが、今からワクワクする気持ちを抑え切れません。世界中から帰国してくる古い友人たちとの交歓も楽しみですが、エリックの芝居を見るのもまた私の人生の糧です。場合によって二月くらいまで日本には帰ってこれそうにありませんが、たくさんお土産話を持ち帰る予定です。

カミーユ・クローデル・発狂後の晩年(イレナ)

●彫刻家ロダンは好きな作家ですが、その恋人だったカミーユ・クローデルのことを考えると微妙な気分になります。ロダンとの不倫のあげく、心を病み48歳で発狂した女性彫刻家のことです。
●1988年公開のフランス映画”カミーユ・クローデル”の英語版をたまたまパリを旅行中だった私は目にしました。フランス語はほとんどわからない私は、最初パリの映画館でこの作品を見た後、英語版の字幕のついているビデオテープを借りてきて観たことがありました。特別有名になった作品ではありませんでしたが、ロダンという人物を尊敬視していた私には少々ショッキングな内容でした。
●1980年代を考えてみると、カミーユのような人生は、ある意味で女性の権利を高らかに主張する大きな運動が求めている、被害者の例として取り上げられた形跡があります。既に著名で動かしがたい地位を確立していたロダンも、一人の男性として複数の女性を愛した。結果としてカミーユは発狂し、そのままの状態で30年に及ぶ精神病院での生活を送ることになる。そうした悲劇的ともいえる内容は、差別的に扱われてきた女性の権利を主張するためには格好の材料ですから・・・。
●ただ最近、この人物について別のことを考えるようになりました。発狂後の人生についてです。多くの評論家はカミーユが、自分を捨てたロダンを憎悪することで、ぎりぎり人格を保持していたなどと表現しています。しかし、30年に及ぶ人生を人は憎悪だけで過ごすことができるのでしょうか。私はちょっと違うと思います。
●確かに憎いという感情はあったでしょう。内妻だった女のもとに戻ったロダンはどう考えてみても、再び愛される存在にはなり得ないのです。ただ朝目覚めて、夜ベッドで就寝するまでの間の長い長い時間を考えてみると、とても憎悪などという激烈な感情を継続することができるとは思えないのです。時に愛したロダンのことを思い。時に忘却する。ひょっとしたらもう一度人生をやり直す計画を緻密に考えていたかもしれないし、場合によっては病院の一角を借りて、別の表現手段である絵画や文学に熱中していたかもしれない・・・。そのようなことです。
●何故私はそんなことを考えるのか。それは知人で同様の境遇にある女性を知っているからです。自分が遭遇した動かしがたい現実の中に未だ囚われている彼女を、私なりに何とかしたいと常日頃から思ってきました。発狂したからそっとしておこうというスタイルは過去のものでしょう。現実に彼女に接してみて思うことは、彼女なりに健全な精神構造へと戻ることを望んでいるということです・・・。ただきっかけがない。却って孤独にしてしまうので自殺衝動を覚えるようになるし、前向きに別の舵を切ろうにも材料がない。ただそれだけのことではないかと思うのです。
●多くの精神病患者が実はこのような状況にあると私は考えています。どの医者も正式には理由もよくわからず病名欄に精神病と記入し、世間から隔離してしまいます。しかし実際のところ誰も内実を理解していないでしょう。結果としてそこから何も変化せず、死の床に入ることになるのは、社会との断絶にほかならないのではないか。私はそんなことを考えています。カミーユのような境遇にあった女性たちが、過去にとらわれることなく、年老いても大きく次のステップをきれるような社会を、私は今後作っていきたいものだと常々考えています。

ケイマン生まれの英国紳士東京に現れる(イレナ)

●先週ワルシャワから戻りました。モスクワを経由して成田空港に到着し税関で手続きをしているうちに、どこか見覚えのある顔を見つけました。シンガポール航空のタグのついた複数の荷物をカートで押して、ハイヤーに乗り込んだ中年の英国紳士の姿は、二十年ほど前にロンドンのカフェで親友のナターリアから紹介された時の姿とほとんど変わりないように見えました。古き良き英国紳士の形を意図的に残して、安易なカジュアルを軽蔑してでもいるようにみえる様は、実は生まれてから8年間ケイマンに住んでいたからではないかと、依然ナターリアから聞いたことがありました。
●成田から東京までエクスプレスに乗りながら、私はロンドンでの出来事を思い出していました。既に妻子のあったその英国紳士が、黎明期のヘッジファンドでマネージャとして勤務していたナターリアと出会い、ナターリアは妊娠。グダニスクの造船技術者の娘として生まれて、苦学して英国に渡ったナターリアの人生は、もっとも幸福な時間を迎えるはずでした・・・。
●大学院で政治思想史を研究していていた私を、ナターリアは時に財政的にも支援してくれていました。薄暗いアパートメントで一人必死に論文を書こうとしながらも、罪と罰の主人公ラスコーリニコフのように、思うに任せない現実に押しつぶされそうになっている私を、時に旅行に連れて行ってくれたりもしました。
●彼女の口から結婚という言葉を聞いたのは、イスタンブールのガラタ塔からボスポラス海峡を眺めているときだったと思います。全額補給の奨学生試験を受けるために、その日の晩のヒースローへ戻る便を予約していた私に、ナターリアは”これが最後の独身旅行になるわ・・・”と言いました。7月の熱線が土色の塔の内側にまで差し込んで、レイバンのサングラスをかけているにも拘わらず、ナターリアの目に喜びがあふれている様子が、くっきろと見えました。”あなたと入れ替わりにロンドンから彼がきて、今晩合流するのよ・・・。”
●数年がたちました。イスタンブールで別れてから、私は急きょボストンへ行くことになり、ナターリアとの連絡はしばらく途絶えていましたが、結婚とか出産に関する連絡はナターリアからは届きませんでした・・・。何となく不思議な気持ちを抱えながら、ある夏の日にニューヨークのグッゲンハイムを散歩していた時のこと、美術館のガードマンの後ろ姿の先に見えたのは、ストリートを猛烈な速度で歩いているナターリアの姿でした。私は何故か呼び止めることができませんでした。何があったのか、またどうしてニューヨークにいて、そんなに急いでいるのか、私は聞くのが怖かったのです・・・。
●事情を知ったのは、5年ほど前のことです。ワルシャワのワジェンキ公園の近くで大学時代の友人たちとビールを飲んでいるうちに、偶然グダニスクに住んでいる別の友人がナターリアの話を始めたのです。ある日ナターリアが一人の少女を連れて実家に帰ってきたこと、またウオール街に新たに職を求めたこと。そして父親は名前も国籍も一切が不明であるということでした・・・。
●その英国紳士の姿を二度目に目にしたのは、経済紙の特集記事に出ていた姿でした。リーマンショックの時に大量の空売りで巨額の資金を得た彼の所属する会社は、投資家に分配金を支払った後、運営会社を解散したということでした。彼自身は免税特典のあるシンガポールに家族で移住、大好きなスキューバダイビングと家族サービスの日々にいそしみたい・・・、そんなことが記載されていました・・・。
●紳士然とした英国風スーツのこの男性は今、何をしに日本にやってきたのだろう。私はふとそんなことを考えました。植民地育ちの劣等感にさいなまれ、本国在住の貴族以上の虚栄心に震え、大金を稼ぐ傍らで、女性たちと不倫。大金を得れば、どれほど愛しているかも判然としない家族にこの上なくサービスをする。お金のためでないといいながら、常々マネーのあふれる街に現れる。ケイマン・ロンドン・ニューヨーク・シンガポールそして東京。
●かつてドラキュラは血を求めて戦場に現れると、ブラム・ストーカーは描きました。現代では戦場はマーケットです。ケイマン生まれの英国紳士は大量の血のにおいを求めて、今東京にやってきているのだというように、私には思えてきます。良心と善行を奨励する傍らで、血潮の飛び散るマーケットで刃を振るうこの紳士が、二枚目の舌と精巧な頭脳を使って、スマートに人間の感情と人生を切り刻む姿を、再び見たくないなと、ふと私は考えました・・・。リーマンブラザーズに勤めていたというナターリアがその後どうなったのかと思い、私は何通目かのSMSメールをうち、そして返信のないスマートホンの画面を何十分も眺め続けました。