東京裁判におけるブレークニー少佐のこと(巌野)

●政治や経済の問題は兎角利害関係に真実を左右されるものです。だからどうしても勝利者や上位者というものがなにがしかの決定をすることについて大いに疑義があるわけです。損得勘定だけでこの人は真実をまげて意思決定しているのではないか、という具合です。これはどういう種類の組織にも概ねあてはまる図式で、事案の真偽が人生を左右しかねない人にとってみれば、大いに不公平かつ不誠実なやり方に映ります。やむを得ないことなのでしょうが、現実世界というのは大なり小なりそういう危険性をはらんでいます。
●そういう社会の成り立ちから考えますと、法曹界というのは非常に厳格に真実を突き詰めるものだなという印象があります。今から70年前にいわゆる東京裁判という戦犯を裁く法廷が開かれました。裁かれるのはおおむね日本の軍関係者で、裁くのは米国を主体とする連合国側です。被告人には、アメリカ人弁護士と補佐役として日本人弁護士がつきます。先勝国側からくる弁護士は、先ほど述べた論理からすれば、戦勝国側の出来レースの演出家或いは伴奏役という風にどうしても見えてしまう部分があります。実際そういう米国人弁護士も多かったのでしょうが、そうでない弁護士もいました。ブレークニー少佐(Ben Bruce Blakeney)です。
●この人物は、東郷重徳や梅津美治郎の弁護をした人物ですが、戦争行為そのものは犯罪には該当せずといった指摘や、真珠湾攻撃と広島への原子爆弾投下の件を比較し、片方だけが罪を受ける理由は根拠に疑義があるなどという答弁をします。大多数の米国側関係者からすれば”敵に寝返ったか”という印象を受けかねない行動です。真実に忠実でありたいとう、米国法曹人としての意地だったのかもしれませんが、大変勇気のいることだったと、今の時代ですら思う出来事です。
●私はかつて執拗に東京裁判のことを調べたことがあります。なぜ日本が裁かれなければいけなかったのか、また何故に戦争そのものが一方だけ侵略戦争の扱いを受けるのか、そういう疑問でした。敗戦国だからしょうがないというような言い回しは確かにその通りなのかもしれませんが、真実に蓋をする、真実を捻じ曲げるということはあってほしくないという気持ちでした。その時に初めて目にしたのが、ブレークニー少佐の答弁だったのです。正式な議事録からは多分に削除されているにしても、毅然と弁護をするこの人物の姿は東京裁判の記録の中では珠玉の価値があるように見えました。加えていうなら、そういう真実に基づいた答弁を許容するアメリカという国の偉大さと、そういう国だからこそ日本は勝てなかったのだろうというような印象を漠然と持った記憶があります。
●昨今オリンパスの損失隠蔽に関わる事案や大王製紙の元会長の多額の借入金の事件が取りざたされています。いずれも組織ぐるみで”ええじゃないか”という具合で真実を隠蔽した事件でした。それはおかしいと気付いて発言できる立場にあった会社の重役もいたはずなのですが、一言異議を唱える勇気がなかったのでしょうか。オリンパスの件では図らずも英国人社長が異議を唱えましたが、日本人はみな無言を貫いて自らの保身に走ったということなのでしょう。誠に恥ずべき事態です。戦後70年も経っているというのに、いまだに二等国であるのかもしれないと深く反省をしなければなりません。ブレークニー少佐のように、真実を主張しようと思えば、母国アメリカを敵に回すこともいとわない、そういった気骨のある意見を陳述できるようにならなければならない。個人的にそんなことを考えた次第です。

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