フレデリック・ショパン39年間の人生、そして別れ(浦崎)

●土曜日の早朝、京都の御池堀川を歩きながら、私はふとフレデリック・ショパンのことを思い浮かべていました。人影がまばらな街角は降り出した雨でしっとりと濡れて、一雨毎に寄せてく季節の肌寒さが、スーツ姿の私にも何故か敏感に感じられて、思いがけず感傷的な気分にとらわれました。コツコツと音を立てる自分の革靴の音が、ピアノの鍵盤をたたく音のように聞こえ、それがいつの間にかピアノ曲・別れの旋律に転じていったのです。
●かつて同じように秋のワルシャワを歩いたことがあります。そのときはもっと寒くて、厚手のコートを着た私は、意味もなく街を歩き、目指していたわけでもないのに、ワジェンキ公園の、彼の銅像の前にたどり着きました。まだヤルゼルスキーという人が大統領をやっていた頃のことで、確かショパン生誕180年という記念の行事をやっていたように思います。
●時間はたっても変わらない感情というものがあるのかもしれません。私の中に滲みだしたショパンの旋律は、昔と寸分変わらず、私の中の何かを刺激していました。ひりひりするような執着ではなく、真摯で深い部分に根ざした愛情や友情のようなものが、意図しない不可抗力の荒波にもまれ、そして損なわれていく。春に芽吹いた花がつぼみを大地に落とすように、自然なことであるからこそ、どうしようもなく共鳴する力と、悲劇的な美しさを印象付けるのかもしれません。
●人は宿命的に縁を持ち、またそれをいとも簡単に喪失するものです。ショパンの場合、それは作家ジョルジュ・サンドとの別れであるのかもしれません。肺結核を長年患い、39年という短い時間で人生を終えたこの人物にとって、晩年の9年間にマジョルカ島で過ごしたサンドとの時間は、苦しみの中に生じたつかの間の幸福であったに違いありません。しかし宿命は不条理に訪れ、ショパンは孤独に死の床につくのです。
●京都での予定を終えた私は桂から三宮に向かいました。土地勘のない私は何度か乗る電車を間違え、見知らぬ駅で降り、強く降り出した雨空を眺めながら、人影まばらな駅のホームで思いがけず長い時間立ちつくしました。今年生誕200年を迎えるショパンのこと、私自身のこと、そしてどうしようもなくやってくる別れの予感を感じながら。

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