何故海外の幽霊には足がないのか(阿房)

●欧米と日本の違いを感じる瞬間の一つに幽霊があります。あちらのゴーストというものには足があって、こちらのものには足がない、そういう印象があります。しかしこれはどうも古来からのものではないようです。その方面に詳しい友人によると、丸山応挙あたりの絵から、足のない日本独特の幽霊というものが登場するということで、江戸時代あたりから定着したものであるようです。
●何人かの外国人の友人と話すときに、日本の幽霊は怖いと言う言葉をたびたび聞きます。これもどうやら足がないということと、関係がありそうで、話を深く聞くうちに明らかになるのは、大抵応挙の時代よりあとの日本画における幽霊画の影響です。勿論最近の日本映画からの直接的影響もあるのですが、日本のホラーという領域そのものも間接的に応挙の時代からの影響を受けているように思われるので、結局江戸時代から現代まで延々と続く、幽霊文化そのものが核心にあるわけです。
●私などは逆に何故海外のゴーストには足があるのかと、子供のころには不思議に思ったものですが、足がないというデフォルメで恐怖感を高めた江戸時代以降の日本とは異なり、海外では恐怖という感覚の対象が、ゴーストそのものというよりも、悪魔という存在や、悪魔に憑かれたことによって生き返るゾンビなどになっているとみるべきでしょう。しかしこちらの方は、私などからすると、逆に全然恐怖を感じない代物であって、未だに”怖いもの見たさ”の対象になりえないものです。
●足のあるなし、恐怖感の対象の相違するということを考えていくと、やはりそこには宗教的な相違があるのかもしれません。しばしば教条的というくらい神と悪魔を登場させる欧米文化圏との違いとでもいいましょうか。そこへいくと日本等は、神道であったり、仏教であったりという混合の宗教的歴史があり、また江戸時代以降極度に宗教勢力(特に仏教勢力)の力が幕府によって抑えつけられる時代が続くという事情もあります。そういう中で日本人というものは、独自の民間信仰のような形で幽霊というものを恐怖の対象として位置付けてきたのかもしれません。
●幽霊や悪魔など、ある種のオカルト的な領域の存在も、人間社会の大切な部分を構成しているとすれば、それは意味があって形を変え、存在理由をもっていたのだろうと、私は考えています。そういう意味では、悪魔という存在で善を証明しようとしてきた欧米と、幽霊の足をメタファーにして善や徳を説いてきた日本の文化というものは、文化の成り立ちとしては異なるものの、オカルトとして逆説的に証明しようとしている対象という意味では、それ程違わないといえるのかもしれません。こういう領域の私見はあくまで私見なのですが、時間に余裕ができたらいろいろ深く調べてみたいテーマの一つでもあります。今晩は仕事帰りにそんなことを考えました。

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