サド侯爵というオカルト(阿房)

●マルキ・ド・サド(所謂サド侯爵)という存在は、ある意味でオカルトであり、世界のアウトサイダーである。名前や作品が日本で市民権を得たのは、澁澤龍彦氏の紹介以後のことである。フランス国内でさえ、二百年近く歴史の闇の中で、その存在を否定されてきた人物である。多様な価値の露出が許される20世紀という時代の波が押し寄せなければ、永遠に埋没していたかもしれない。
●私自身もその存在を知ったのは、大学時代のことで、澁澤龍彦訳を目にしてからのことである。若さと好奇心の塊である自分からすれば、悪とポルノグラフィー、反キリストなど社会のあらゆる価値に立ち向かうこの作家の存在は、ちょっとした魅力だった。少々脱線するが、訳者の澁澤氏自身も大きめのサングラスをかけた、ちょっとニヒルな姿が異質感のある魅力にあふれていて、平平凡凡とした自分からすれば、何かわくわくするような気分を味わわせてくれる存在であった。
●ただ、悪というものへのほのかな魅力以外のものは当時は感じとれていなかったなと思う。聖書に登場する悪魔、第二次大戦におけるヒトラーやスターリン、ドラキュラ伯爵等と同じように、怖いもの見たさだけが意欲を掻き立てていたのである。しかし、社会にでて何年かたってから、そういう表層的な悪の定義よりも、立派で偉そうな顔をした、道徳感あふれる貴婦人や成功者たちのもっている、本質的な悪のようなものを知るようになって、見方が変わった部分がある。階層や貧富の差を問わず人間には悪というべき傲慢さがあり、それが人間の本質なのだと考えるようになったのである。
●むしろそういう人間社会の偽善的な本質とは別の次元に、サドという人がいて、善とは何かということをささやいているのだなと思うようになったのである。幸福感は絶望の中でしか存在しえないものであるのと同様に、善も悪という存在がなければ、かたちも匂いもなく、煙のように消えていってしまうものなのである。サドという人は、そのことを本能的な鋭い感性の領域で知覚し、人生を生き、作品を書いていたのだと知り、ふと何処かで共鳴するものがあるなと思ったのである。
●最近そのサドが晩年すごした刑務所での生活をベースにした映画クイルズを観た。映画自体の興行成績は今一つであったようだが、私自身はかなり面白いと思った。猟奇的な事件そのものをベースにしていないがゆえに、サドの本質的な部分が描かれ、歪んだ好奇の視線は意図的に排除されている。自分が感じているサドの本当の姿に近いと思った。お薦めの映画であると思う。

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